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大坂の学問 [雑学]

 近世にはじまった大坂の学問もまた、町人の手で築かれた。ざっと見ても、国学の下河辺長流(しもこうべ ながる)、僧契沖、上田秋成、
漢学の三宅石庵(みやけ せきあん)、中井甃庵(なかいしゅうあん)、五井蘭洲(ごいらんしゅう)、富永仲基(とみながなかもと)、中井竹山(なかいちくざん)、同履軒(りけん)、山片蟠桃(やまがたばんとう)、大塩平八郎、経済学の草間直方(くさま なおかた)、蘭学の橋本宗吉(はしもとそうきち)、緒方洪庵、福沢諭吉、たちがその系譜である。武士は、大塩と福沢ぐらいだった。
 彼らの学問には、ほぼ一貫した思想が流れている。まず、実証である。あくまでも事実にもとづき自分の目で冷徹に確かめたことしか信じなかった。考え方は合理主義である。
神秘や超自然を嫌い、客観的で理性的だった。権威や教条や因習や形式からは、自由であった。
いつも定説を疑う。だから、清新である。学派や学問の範囲にとらわれない。蟠桃などは何学者に入れるべきかと迷う。人文科学や自然科学に及び、大きく広い。
根底には平等の思いがあり、あの封建の世にあって身分にこだわらない。学問を堅苦しく考えないで、楽しくやればいいと思っている。実際の役に立たない空理空論を退けた。多くは利を追う商人の出であり、その学問は実学であった。ところが、いったん学問に没入すると、ひたすら心理を求めた。実利を忘れ、お上の禁制をも恐れなかった。学問で職を求めようとはしない。名利のために学問をしたのではない。

大阪学
大谷 晃一 (著)
新潮社 (1996/12)
P166


DSC_1684 (Small).JPG吉野ヶ里遺跡





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