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井原西鶴 [雑学]

 井原西鶴が生まれた寛永十九年(一六四二)から元禄六年(一六九三)に死ぬまでは、大坂経済の大変な上昇期にあった。銭金の力だけを頼りに腕一本の新興商人たちがのし上がって来る。
そんな大坂で、彼は生きた。そんな商人たちの生き生きした姿を写したのが、「日本永代蔵」である。副題を「大福新長者教」とした。今風にいえば「金をもうける法」とでもいおうか。
 その成功の由来の第一が才覚である。建前が何より大事な武士とは違い、商人は人と違ったこと人よりも先にやらなければ、生きて行けない。
頭の働きで金を稼げ、という。西鶴は俳諧師であり、浮世草子作者であったが、一日一夜に二万三千五百句を独吟した俳諧大矢数をはじめ、だれもやらないいろんなことをやり、人をあっといわせた。
 もう一つの大事は、始末である。倹約して金をためよ、と教える。いらない銭金は使うな。「世間胸算用」では、正月用の伊勢海老は暮れに値が上がるから、安い内に買っておけ、と書く。少しでも安い品を買い、けち、といわれても金を持っている者が勝ちや、と宣言する。西鶴が死んで三百年になるが、大阪は変わっていない。スーパーもターミナル・デパートもそんな土壌にに芽を吹いた。

大阪学
大谷 晃一 (著)
新潮社 (1996/12)
P82




DSC_1698 (Small).JPG吉野ヶ里遺跡

P150
 彼は商人の家に生まれたが、商売を嫌って、番頭に任せ、文学の道に入る。だが、彼にはまさしく大坂商人の血が流れていた。才覚を働かせて人をあっといわすことを常に考え、これを人よりも先に実行する。競り合いの気持ちが強い。人間好きで、目立ちたがりで、パフォーマンスやりたがりである。

P158
 西鶴は町人物を書き続けた。「親の身代を継ぐのは、先祖のおかげで安穏と暮らす武士と同じやないか」と、町人をたたえ、武士をぼろくそにいう。「金を持とうと思えば、世は無常などと悟ってはあかん」と、あの世よりもこの世をたたえる。「一滴の酒で一生を誤るで」と、酒を戒める。「金持ちは何もしないのに福が来て、貧乏人幾らもがいても損ばかりしている」と、さらにこの世が深く見えて来た。
版元は乗り気でない。これらは、西鶴の死後にでた「西鶴織留」「西鶴俗つでづれ」に収められる。
 世の中が栄えれば栄えるほど、その裏に貧しい人がふえるのも分かった。この人たちを書こうと思い立つ。




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