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キタとミナミ [雑学]


 大阪の中にも、いろんな大阪がある。その中で、キタとミナミはそれぞれ対称的な性格を持っている。大阪の二つの面である。
キタとは、梅田周辺から天満、堂島、中之島あたりまでを指す。つまり、北区の南半分である。
ミナミとは、難波から千日前、道頓堀、心斎橋ぐらいの範囲である。つまり、中央区のうち旧南区の南半にあたる。ただし、この区域は確定しているわけではない。人により、時により異なる。
 一言で言えというならば、こうなるだろう。キタは大阪の顔である。ミナミは大阪の内蔵、その中の胃腸である。ついでに、船場は心臓である。
 何故か、この場合にキタ、ミナミと片仮名で書く。単なる方角ではなく、大阪人が独自に持っている雰囲気がそこに込められている。
 この二つの中では、ミナミの方が古い。

大阪学
大谷 晃一 (著)
新潮社 (1996/12)
P200



DSC_1706 (Small).JPG吉野ヶ里遺跡

P208
 キタにはサラリーマンが多く、ミナミは中小企業者が多い。
これには、それぞれの位置と歴史がかかわっている。近世の中之島一帯には、各藩の蔵屋敷が並んでいた。そこへ米はじめ物産が運び込まれ、北船場の大商人と取引した。
藩の留守居役を商人が接待したのが、堂島や曽根崎の遊里であった。
この各藩の武士は、もともと他国の人である。いま、大商人がいた北船場に、大会社のビルが建ち並ぶ。そこで働く社員が、曽根崎新地のバーで遊ぶ。社用が多い。近世以来、同じことをしていることになる。会社の金を使うのだから、値段にさして構わない。
~中略~
キタは転勤者をふくむ多様な人の町であり、これに対してミナミは土着の世界である。
~中略~
 船場の会社も南へ行くに従って、つまりミナミに近づくにつれて、次第に細かくなる。中小企業化する。その社長がミナミで自腹を切って遊ぶ。
 ミナミは、盛り場としての歴史が非常に古い。だから、老舗の店が少なくない。良くも悪くも、伝統の商号や商法にこだわる。それに比べて、キタは比較的新しい。本格的に繁華街になったのは、むしろ昭和の戦後である。良く言えば近代的、悪く言えば植民地的になる。
 私鉄のターミナルの関係で、キタは摂津の人が多い。一方、ミナミは河内と和泉の人が多い。この人たちは、摂津より言葉に飾り気がなく率直でいささか荒い。
土着でなくても、キタも大阪である。大阪と言う町はたえず地方からの新しい血を受け入れることによって成長して来た。何もない新地へ、堺、平野、伏見などの商人が呼ばれた。
さらに阿波の商人が進出し、最後は近江の商人が大坂を制した。丸紅、伊藤忠、などである。だから、勤勉、倹約などの大阪人の性格には近江商人の影が濃い。



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