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自然保護はリベラルな姿勢から生まれる [社会]

  ターナー(住人注;アメリカの歴史家フレデリック・ターナー(一八六一~一九三二)が学び、教鞭をとったのがウィスコンシン州立大学だった。~中略~
 風土は風土にあった大学を作る。ウィスコンシン州は主としてヨーロッパからの移民によって開拓された牧畜と農業の州である。進取の気性に富み、比較的教育程度の高かった彼らの多くは歴史のなかで大きな役割を担っていく。
 たとえば、奴隷解放の地下ルートがそれだった。
南北戦争前のウィスコンシンには、南部から逃亡してきた黒人奴隷をかくまい、解放するための地下組織がたくさんあった。今につながるリベラリズムの伝統がウィスコンシンにはあった。
 ウィスコンシン州立大学は、リベラリズムの拠点のひとつだった。リベラルな伝統はリベラルな学者や学生を輩出する。とくに自然と人間のかかわりのあり方について、アメリカの進むべき道を決定的に方向づけた重要人物がこの大学から何人も世に出た。
そのなかのひとりが前出のターナーだった。彼はアメリカの国民性を自然との関係において語り、自信に満ち溢れたナショナリズムを植えつけた。
 ジョン・ミューア(一八三八~一九一四)は自然保護の父と呼ばれ、世界に先駆けて国立公園理念を構築した男である。南北戦争のころウィスコンシン州立大学に在学し地質学、植物学、博物学などを学んだ。彼のエコシステムの考え方は、今に通じる先駆的なものだった。のちにアメリカで最初の自然保護団体シエラクラブを設立し、初代会長だったことでも知られている。
 アルド・レオポルド(一八八六~一九四八)は、国立公園とともにアメリカの自然保護制度を世界に名だたるものとした「国立原生自然保護システム」の基礎を築いた人である。国立公園や野生生物保護区、国有林などの既存システムのままでは、どうしても開発の波からのがれることができなかった貴重な自然を守るために、このシステムは制定された。
このすぐれたところは、国立公園や国有林など、別々の省庁によって運営されていた縦割り行政の垣根を越えて、省庁横断的な管理運営ができることにあった。「土地倫理」というレオポルドの思想によって、それは可能になった。
 レオポルドは、ウィスコンシン州立大学で教鞭をとるかたわら、マディソンの北、ウィスコンシン川に面した砂土原を購入し、そこをベースに生態学の研究と実践を重ねた。彼自身は、志半ばにして自分の農場で心臓発作のため亡くなってしまい、夢の実現は見ることはできなかったが、一六年後、彼の構想「国立原生自然保護システム」は結実した。
 彼が晩年に仲間たちと設立したウイルダネス協会は、いまやシエラクラブをしのぐほどの会員をもつ強力な自然保護団体に成長している。
 自然保護の思想は、概してリベラルな姿勢から生まれる。リベラルな姿勢は、人と人、人と自然との正しいバランスを常に求める心を育てる。ウィスコンシンの風土が、優れた自然保護思想を次々と生み出したということができるのだろう。

自然の歩き方50―ソローの森から雨の屋久島へ
加藤 則芳
(著)
平凡社 (2001/01)
P116


DSC_1874 (Small).JPG有珠山ロープウエイ





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