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久高の屁 [雑学]

久高では外間(ほかま)の根人真仁牛(ねびとまにうし)に、女の同胞が二人あった。姉は於戸兼(おとがね)は外間の祝女で、島の御嶽の御祭に仕えていた。
妹の思樽は巫女であった。首里に召されて王城の巫女となり、日夜禁中に住んで神の御役を勤めている中に、国王の御心にかない、すなわち入って内宮の人となった。
性貞静にして姿は花よりもさらに美しかったゆえに、一人の寵愛と幾多の恨みを嫉みと、ことごとくこの君の身に集まり、宮中眼をそばだてて物言いかわす友とてはなかったところに、どうした悪い拍子であったか、多勢のいる中で、とんでもない不調法な音がしたそうである。
宮女たちはこれを聞いて大いによろこび、寄るとさわるといつまでもこの噂のみをしたために、何ぶんにも辛抱して御前には仕えかね、ついに御暇を賜わって故郷の島に帰ってきた。そうして久しからずして王子を生んだ。~中略~

 思金松兼八歳の童子となって、日夜にわが父は誰ぞと母にたずねたもう。~中略~
 その七日目の夜明け方に、沖の方から光り輝いて、寄ってくる物がある。衣の袖をのべすくい取ってみると、不思議や黄金の瓜であった、大いに喜んでこれをふところにし、母に別れを告げてはるばると首里の都の、王城の前に立って、世の主加奈之に対面がしたいと申さるる。
髪は赤く衣は粗く姿はしかも気高い童子が、かくかくの次第と聞しめして、何事の願いぞと御前近く呼び上げたもうに、懐中よりかの黄金の瓜を取り出し、これはこの国家の宝、天甘雨を降し沃土すでに潤うの時、かつて屁をしたことのない女をして、この種をまかしめたもうならば、繁茂して盛んに実を結ぶべしと申し上げた。
国王大いに笑いたまい、そんな女がこの世にあろうかとおおせられる。しからば屁でおとがめを受ける者もないはずと、まず御心を動かしてたてまつる。やがて内院に左右の人を遠ざけ、おたずねによって、くわしく久高の母が嘆きを言上した。
この王他の御子とてはなかったゆえに、後に思金松兼を世子と定めたまい、ついに王の位に登って百の果報を受けたもうと語り伝えている。
 第四王朝の尚金徳王は、すなわちこの思金松兼の御事かという説がある。

海南小記
柳田 国男
(著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P88




DSC_1801 (Small).JPG天草







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