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生存欲求とソウショク系男子 [宗教]

釈(住人注;釈徹宗) 負のエネルギー、負の連鎖ですね。人間はエネルギーが過剰なので、常に調えないと負の連鎖が始まる。イデオロギーの基盤もそこにあるがゆえに次第に極端な方向へとすべっていくのですね。
 仏教はそこに苦悩の根源があるとするので、えらい恐ろしい話ですよ。仏教で癒されるなんてとんでもないかも(笑)。
いわば、生存欲求まで滅してしまって、野に咲く花のように生きるいいますか・・・・・。ある意味、そこに理想があるようなものすごい体系だったりして。
宮崎 野に咲く花にも生存欲求みたいなものはあると思うけどね。
釈 ありますかね。とにかく、仏教の語りを聞いていると、動物より植物のほうが偉いような気がしてくるでしょ。
宮崎 うん。その気持ちは少しわかります。とすると、草食系男子の増加はいいことなのか(笑)。日本の若い男の子たちのあいだで心性レヴェルにおける仏教化が進みつつある!?
釈 そうか、草食系男子は仏教徒か。どうだろう、違うと思いますけど(笑)。ん?。いや、草食系男子は僧職系男子かな。

宮崎哲弥 仏教教理問答
宮崎哲弥 (著)
サンガ (2011/12/22)
P84

IMG_0053 (Small).JPGエルパティオ牧場

七六二 他の人々が「安楽」と称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。
他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。
解し難き真理を見よ。無智なる人々はここに迷っている。
七六三 覆われた人々には闇がある。(正しく)見ない人々には暗黒がある。善良なる人々には開顕される。あたかも見る人々光明のあるようなものである。
理法が何であるかを知らない獣(のような愚人)は、(安らぎの)近くにあっても、それを知らない。
七六四 生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人々には、この心理は実に覚りがたい。
七六五 諸々の聖者以外には、そもそも誰がこの境地を悟り得るのであろうか。この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。

ブッダのことば―スッタニパータ
中村 元 (翻訳)
岩波書店 (1958/01)
P172

「(ブッダが答えた)、ナンダよ。世の中で、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。
(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく望むことなく行う人々、―かれらこそ聖者である、とわたしは言う」(「スッタニパータ」一〇七八)

ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P044

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立松 前略~
 「月のウサギ」という話があります。これはすごく有名な話で、「ジャータカ(本生教)」にもあるし、「今昔物語」にも載っている話なんだけれど、大乗仏教の究極の理想というのは自己犠牲だと思うんです。人々のために、自分が犠牲になるということ、究極の行ないといったほうがいいかな。
「月のウサギ」はこういう話です。サルとキツネとウサギがとても仲良くしていました。
実際に生態的には考えられないですが、お話ですから。とにかく三匹仲が良く、かつ信心深かった。
帝釈天がそれを見て、彼らの信心が本物かどうか確かめようとした。そして行き倒れになった老人を装って三匹が来るのを待った。やがて三匹がやってきて、「どうしたのですか」とたずねる。老人は「お腹が空いて死にそうだから、何か食べさせてくれ」と言うわけです。
 サルは木に登って、木の実をたくさん取ってきました。キツネは川に入って、魚をたくさん取って食べさせました。ウサギは何もできません。
それでみんなに怒られるわけです。「あんたは口だけで、何もできないじゃないか」と。そうしたらウサギは「おサルさん、薪をたくさん取ってきてください。そしてキツネさん、そこに火をつけてください」
とお願いする。そして自分がそこに飛び込んで、自分の体をその老人に供したのです。
帝釈天はもとの姿に戻り、その心根を大変に憐れんで、慈しみの心をもって、ウサギを月に連れていって供養しました、という話です。

親鸞と道元
五木寛之(著),立松和平(著)
祥伝社 (2010/10/26)
P292

  学校教育の現場でも、子供たちが先生に褒められることで自己愛を満たされる体験が、昔よりも減りました。「キミはすごいね」と子供を褒めるのは、とうぜん「あなたは他人より優れている」と認めることにほかなりません。
しかし、いまの教育現場は、平等意識が強いあまり、生徒に差をつけることを嫌います。
~中略~
努力して結果を出しても褒められないのでは、コフートのいう「野心の極」が満たされないでしょう。すると、さらなる困難にチャレンジしようという意欲が育ちにくいのです。
 一方で、子供でも会社の部下でも「褒めて育てよう」と考える人は少なくありません。ならば自己愛が満たされそうなものですが、これも形骸化すると実効性に疑問符がつきます。
「みんな褒められる」となったら、結局は差がつかないからです。
 それに、相手が「とにかく褒めて育てよう」と考えていることがわかれば、いくら褒められても、その言葉には真実味が感じられないでしょう。
実際、無理に相手の良いところを探して褒める人の言葉は、建前の「お世辞」と区別がつきません。それこそフェイスブックで友達の投稿に何でもかんでも儀礼的に「いいね!」ボタンを押しているのと、大差ないのです。
 このような「鏡」の足りない環境で育った人たちは、健全な自信や自尊心を持つことは困難です。
「オレはすごい」とか「私はみんなより優れている」などと発言することはもちろん、心の中で思うことさえ許されないようになっているのですから、ガツガツした野心や意欲はなかなか育たないでしょう。
 そんな風潮の表れのひとつが、いわゆる「草食系男子」の増加だろうと思います。~中略~
 草食系男子であること自体は、本人に辛さや苦しみをもたらすものではないので、個人の心の問題として考える必要はないかもしれません。
ただ、もしそれが社会の活力を低下させるのだとしたら、放置してよいものでもないでしょう。

自分が「自分」でいられる コフート心理学入門
和田 秀樹 (著)
青春出版社 (2015/4/16)
P168


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