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イカワ [言葉]


平和の緑の色に一ように取りつつまれた沖縄の村々も、水の一点だけにはいちじるしい幸不幸がある。
概して言えば新しい村ほど、飲み水の不自由を辛抱せねばならなんだようである。
那覇などもずいぶん古い湊であるが、当初今日ほどの繁栄を予期しなかったために、近く良い井戸のある家はまことに少なく、他の多くは入江の対岸のウチンダ(落平(おちびら))の泉から、はるばるとくんできて用いている。

海南小記
柳田 国男 (著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P145

DSC_2917 (Small).JPG千手観音堂 岩屋山泉水寺

P147
島尻地方などの岡の根方に、珊瑚岩層の割れ目から、澄みとおった清水が滾々としてわきかつ流れているのを見ると、実際誰でも神の恩恵を考えずにはおれない。中世の南山王国の廃墟は、今は神社と公園と小学校とになっている。
その石崖の東北隅に立って見おろすと、屋古の古村の共同井がよく見える。~中略~
おおよそ一村の生活は皆この泉をい中心とするかのごとく、結局水くみ場のただ一か所であるのも、むしろ部内の親睦を増す道であるように思われた。
「琉球国旧記」その他の古い書物に、由来を伝えられた嘉手志川(かでしがわ)は、すなわちこの清水のことである。屋古は名を改めて今は大里と呼んでいる。~中略~
嘉手志は沖縄語で、人の集まってくることを意味するというが、はたしてそうであろうか。
土地の一説では、古くはまたカタリガーとも称えた。すなわち伝説の存する泉ということである。
昔、大早の年に人々船を仕立て、水を他所(よそ)の岸に求めんとしているとしているところへ、一匹の犬が全身ぬれそぼたれてやってきた。不思議に思ってしばらく船出を見あわせ、その犬を先に立てて林の奥深く入ってみると、はたせるかなかくのごとき立派な清水がわいていた。そうして犬は水中に入ってたちまちに石と化し、その石は今なお泉の上に安置せられて、郷人の尊敬を受けている。
古来の口碑はかくのごとくであるが、別に他村の霊泉にも同じ類の話がある上に、東方諸民族の間においては、これはむしろありふれたる物語であった。
現に台湾山地に住む幼稚なる部落の間にも、犬に導かれて清水を見出したという旧伝が、いくらともなく存在するから、おそらくはこの島にあってもまた、話の方が泉よりもまお一層古かったのである。
P146
 井戸をカワと言うのは、必ずしも沖縄の諸島だけではない。九州でも広くこれをイカワと呼んでいて、飲み水の供給が最初はみな天然の流れからであったことと、その流れをせきとめて水を一所に止住(しじゅう)せしめたのが、すなわちイという語の起源なることを示している。
やまとの島で普通に見る掘り井戸を、宮古でも八重山でもツリカーと称えている。釣瓶をもって水を釣る井戸の意味で、その釣瓶は蒲葵の葉をもって、たくみに鸚鵡貝(おおむがい)のような形に縫うてある。~中略~
こういう井戸へ村中から、くみにかよう者は他の多くの民族と同じく、ことごとく村の女たちであった。
ツリカーにくらべるとウリカーの方がさらに苦しい。ウリカーはすなわち降りてくむ井戸のことで、宮古の平良(ひらら)などにはこればかりしかないようである。

P149
 いわゆる白鳥処女の伝説は、かつて高木敏雄君によって、その起源と分布とを説かれたことがある。神が人間界に配偶を求めたもうこと、鳥の形をしてこの世と往来したもうことは、いたって広くかつ久しい伝承であるが、それが進んで三穂の松原や、近江の余呉湖の様式を取るにいたたのには、またその地方に相応した何ぞの事情があったはずである。
そうして沖縄の島では泉の神の信仰が、明白に物語の一要素をなしていたことを認めざるをえない。

P138
要するに沖縄諸島の神女は、ことに沐浴を愛した。あたかも村々の祝女が霊泉によって、その清浄を保とうとしたのと同じである。
その泉はまた酒をかもすにも必要であった。酒造りもまた女の仕事である。そうして仲城安里(なかぐすくあさと)の佐久井などのごとく、井の畔で神女に逢い、夕ごとに一壺の酒を賜った話もある。

女房がほれを嫉んで行ってみると、壺の酒はすでに変じて水となるということ、本州諸国の強清水(こわしみず)という泉に、しばしば、「親は諸白、子は清水」の話を伝えるのとよく似ているが、ただ沖縄の酒泉伝説においては、その村のノロは長くこの井の水をくんで、稲祭の日に神に供えていたのである。
暑くして水の大切な島であるがゆえに、泉に伴う神の口碑が多いのか。はたまた女性が祭りと水とをつかさどるがゆえに、水の辺に神を拝するの風が、次第に恋しなつかしの情緒をさそうようになったのか。許田の手水を始めとして、美しい多くの夢物語が、往々にして清水と処女とを結びあわせ、島人の文字に向かって無限の涼味と休息とを供与せんとしているいずれにしてもそのよってくるところは久しいのである。
 これにくらべてみるとやまとの島のわれわれには、少しばかりきまりの悪いことがある。
こちらの方でも海近くなどの水の恋しい地に、はからず清冽甘美なる泉を見出すことはあるが、そういう場合には多くは弘法大師を説き、かつこれに配するに一人の老婆子をもってする。あまりとしても彩色がくすんでいる。昔はきっとこうではなかったろうと思う。
大師が全国を行脚して、水ばかり求めていたのもよろしい。たった一杯の水の親切にめでて、立派な清水を善良なる老女にあたえたまではよろしいが、少しく不親切な隣の婆があれば、すぐにまたその制裁をくだして芋を石芋にし、井戸を塩水、泥水にして行ってしまったといのは、仏法の祖師よりもむしろはるか以前の神様のごとき、はげしい愛憎ではなかろうか。
沖縄へは幸いにしてこんな弘法大師は渡らなかったが、やはり若干の最も世話焼きなる、かつなかなか機嫌の取りにくい旅人が昔あるいていた。




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