玉依姫 [雑学]
宇佐の姫神の御名を玉依姫と伝えた理由は、久しい間の学者の問題であって、あるいはこれによって山に祀った御神を、海神の御筋かと解する者さえあったが、神武天皇の御母君が、同じく玉依という御名であったことは、だだ多くの例の一つというばかりで、前にも言うごとく賀茂でも大和でも、およそ神と婚して神子をもうけたもう御母は、皆この名をもって呼ばれたもうのである。
玉依はすなわち霊託であった。人間の少女の最も清くかつ最もさかしい者を選んで、神がその力を現したもうことは、日本神道の一番大切なる信条であった。神のお力を最も深く感じた者が、御子を生み奉ることもまた宗教上の自然である。
今日の心意をもってこれを訝るの余地はないのである。真野長者が愛娘も、玉世であったゆえに現人神はすなわち訪い寄られた。それがまた八幡の古くからの信仰であった。
海南小記
柳田 国男
(著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P176
宇佐神宮
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