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火と宇佐の大神 [雑学]


「遠野物語」の中には、深山無人の地に入って、黄金の樋をみたという話があるが、それが火と関係あるか否かはまだ確実でない。しかし少なくとも火神の本原が太陽であったことだけは、日と火の声の同じい点からでもこれを推測し得るかと思う。日本には火山は多いが、わが民族の火のはじめはこれに発したのではなかったらしい。
天の大神の御子が別雷であって、後再び空に帰りたまうという山城の賀茂、または播磨の目一箇(まひとつ)の神の神話は、この国のプロメトイスが霹靂神であったことを示している。
宇佐の旧伝が同じく玉依姫を説き、しきりにまた若宮の相続を重んずるは、本来天火の保存が信仰の中心をなしていた結果ではなかったか。
~中略~
これを要するに炭焼き小五郎の物語の起源が、もし自分の想像するごとく、宇佐の大神の最も古い神話であったとすれば、ここにはじめて小倉の峰の菱形池の畔に、鍛冶の翁が神と顕れた理由もわかり、西に隣した筑前竈門山の姫神が、八幡の御伯母君とまで信じ伝えられた事情が、やや明らかになってくるのである。
いわゆる父なくして生まれたまう別雷の神の古伝は、いたって僅少の変化をもって、最も広く国内に分布している。
神話は本来各地方の信仰にねざしたもので、そのお互いに相いれざるところあるはむしろ自然であるにもかかわらず、日を最高の女神とする神代の記録の、これほど大いなる統一の力をもってするも、なおおおい尽くすことを得なかった一群の古い伝承が、特に火の精の相続に関して、今なお著しい一致を示していることは、はたして何事を意味するのであろうか。
播磨の古風土記の一例において、父の御神を天目一箇命と伝えてすなわち鍛冶の祖神の名と同じであったことは、おそらくはこの神話を大切に保存していた階級か、昔の金屋であったと認むべき一つの根拠であろう。火の霊異に通じたる彼らは、日をもって火の根源とする思想と、いかずちと称する若い勇ましい神が最初の火を天より携えて、人間の最も貞淑なる者の手に、お渡しなされたという信仰を、持ち伝えかつ流布せしむるに適していたに相違ない。
宇佐は決してこの種の神話の独占者ではなかったけれども、かの宮の神の火は何か隠れたる事情あって、特に宏大なる恩沢を金属工芸の徒にほどこしたために、彼らをして長くその伝説を愛護せしむるにいたったので、炭焼長者が豊後で生まれ、後に全国の旅をして、多くの田舎に仮の遺跡を留めておいてくれなかったなら、ひとり八幡神社の今日の盛況の、根本の理由が説明しがたくなるのみでなく、われわれの高祖の火の哲学は、永遠に不明に帰してしまったかも知れない。

海南小記
柳田 国男 (著)
角川学芸出版; 新版 (2013/6/21)
P199


海南小記 (角川ソフィア文庫)

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DSC_4414 (Small).JPG宇佐神宮
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