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科学者の義務 [社会]


私の研究室の壁にはいつも、私の恩師である理論物理学者の坂田昌一先生が書いてくださった書が掛けられています。

「科学者は科学者として学問を愛するより以前に、まず人間として人類を愛さなければならない」

科学者は戦争で何をしたか
益川 敏英 (著)
集英社 (2015/8/12)
P19




DSC_2923 (Small).JPG千手観音堂 岩屋山泉水寺

P26
 自分の開発した科学技術が悪用される可能性をいち早く理解できるのは、それを開発した科学者自身です。
ノーベルも自分が開発した発明が戦争に使われるだろうことは容易に想像がついたはずです。
科学者には、人類に役立つ成果を発表すると同時に、こんあふうに使われたら危険であるということを警告する義務もあるのです。
 ところが科学者というのは、そんなことに神経を使うより、いかに新しい発見に近づけるか自分の研究に没頭している方が何倍も楽しいと思っている人種なのです。まあ私も含めてそれが科学者の性なのかもしれません。
私だって、面倒くさいことは放っておいて、自分の研究のことを考えている時が一番楽しいし、それが本音でしょう。

P27
 A・H・ベクレルとキュリー夫妻は、放射能の発見で、一九〇三年にノーベル物理学賞を受賞しましたが、そのスピーチでピエール・キュリーが口にしたのは警告の言葉でした。
「ラジウム元素の発見が人類に不幸ではなく、繁栄をもたらすために使われることを切望します」としながら、受賞記念講演で、彼はさらに具体的に人々に放射能の恐ろしさを訴えたのです。

  ラジウムが犯罪人の手に渡ると、非常に危険なものになるでしょう。自然の秘密を知ることによって、果たして人類は利益を享受できるか、それを利用しようとするか、あるいはこの知識は有害なものになるのではないかという問題が提起されています。
  ノーベルの発見はこのよい例であります。強力な爆薬によって、私たちは驚くべき事業をしてきました。またこれは、人々を戦争に駆り立てる大犯罪人の手に渡ると、恐ろしい破壊の手段にもなります。
  私は、ノーベルとともに、人類は新しい発見から害毒以上に多くの福利を導き出すであろうと信ずる者の一人であります。
 (「ノーベル賞講演 物理学1」 講談社)

 ノーベルと同様に、ピエール・キュリーも新しい発見や開発が、人類に害毒も福利ももたらす諸刃の科学であることを示唆したのです。

P69
 人間は弱いものです。私も臆病だし、できることなら自分の好きな研究だけに没頭したい。
 しかし、それではどんな研究でも科学者の自己満足で終わってしまいます。臆病でも弱くても、自分の研究がどんな使い方をされるのか、そこだけはしっかりと目を見開いて、本質を見抜かなくてはいけないと思っています。


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