神が治し、医者が包帯を巻く [医学]
フランスの有名な外科医A・パレー(注1)は「神が治し、医者が包帯を巻く」といっています。
まさしく、そのとおりなんです。すなわち神とは、患者さんご自身の、内なる力なのです。われわれ医療人は、包帯を巻く、絆創膏をはってさしあげる、この仕事を間違いなくやるのが、務めなのです。
患者本位の病院改革
新村 明(著),藤田 真一(著)
朝日新聞社 (1990/06)
P25
われわれの命は医者によっては一日たりとも長くされはしません。
われわれは神の定めた寿命だけ生きるのです。
だが、哀れな犬のようにみじめに生きるか、達者で元気に生きるか、どうかは、大へんな違いです。
その点では賢明な医者にはさすべき余地が大いにあります。
(ミュラーへ、一八二七年)
ゲーテ格言集
ゲーテ (著), 高橋 健二 (翻訳)
新潮社; 改版 (1952/6/27)
P148
わたしは本書で何度も「それが本人の運命なのである」といった突き放した(かのような)言い方をしてきた。そこに反発を覚える読者も少なくあるまい。だがこれは「無責任のススメ」なのではない。我々のできることには限界がある。
やれるところまでやったらあとは「人事を尽くして天命を待つ」ことになるのは当然ではないか。
我々援助者は努力を惜しむことなく対処を図ると同時に、それが万能ではないという謙虚さをもつ必要がある。
そこのところを煎じ詰めれば「本人の運命」という言葉へ自然に行き着くことになる。さらに「援助者の運の強さ」をも付け加えるべきか否かは、読者諸氏の人生観に委ねたいところである。
はじめての精神科―援助者必携
春日 武彦 (著)
医学書院; 第2版 (2011/12)
P182
「医術がもっと進めば変わってくるかもしれない。だがそれでも、その個躰のもっている生命力を凌ぐことはできないだろう」と去定は云った、
「医術などといってもなさけないものだ、長い年月やっていればいるほど、医術がなさけないものだということを感ずるばかりだ、病気が起こると、或る個躰はそれを克服し、べつの個躰は負けて倒れる、医者はその症状と経過を認めることができるし、生命力の強い個躰には多少の助力をすることもできる、
だが、それだけのことだ、医術にはそれ以上の能力はありゃしない」
赤ひげ診療譚
山本 周五郎 (著)
新潮社; 改版 (1964/10/13)
P55
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