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いい犬 [社会]


 世田谷区の古い住宅地に住みついて、もう六十年になる。その頃からこのあたりは車の通らなない静かな一かくだったが、時折子供が泣き声を上げながら通って行ったり、ピアノの練習曲の、同じ所のくり返しが堀際の植込みの向うから流れてきたり、冬の夜は、「焼きいもォ 焼きいもォ」の呼び声が聞こえる時があったり、ひと頃は拍子木の音と「火の用心!」の声が通って行くこともあった。そうした声やもの音は、平和な日常の彩りとしてなかなか好もしいものだった。
 その頃私はくる日もくる日も深夜を過ぎても机に向かって原稿を書くという生活をしていたが、周りが寝鎮まった夜更け(よふけ)に遠く犬の吠え声が聞こえてくると、懐かしいような、ほっとするような、しみじみと優しい気持ちになったものだった。
 どこかで一匹が吠え出すと、それに呼応するように別の犬が吠え始める。するとそれに誘われてか、負けん気からかよくわからないが、方々の犬が吠え出して、これはもしかしたら火でも出ているのではないか、怪しい者がうろついているのではないかと、寝ていた人も起き出してカラカラと雨戸を開ける音や人声などが聞こえてきて静かな夜がいっ時、ざわめく。
「犬が吠えても叱ってはいけない。犬は犬なりに一所懸命に職分を果たしているのだからね」
 などと人々はいい、その頃は犬にも「職分」が与えられているのだった。よく吠える犬は「いい犬」で吠えない犬は「ダメ犬」としてバカにされた。~中略~
 だがこの頃、犬のその職分はなくなった。吠える犬はうるさいと近所から文句が来るので、飼い主から叱られる。犬は頭にリボンをつけて、吠えないように訓練されてチョロチョロしているのが「可愛い」といってもてはやされる。
真剣に職分を果たしたい犬の方は、励めば励むほどうるさい、バカモンと邪険にされる。悲しく憤ろしい思いを抱えて、リボンのチョロチョロ犬を嚙み殺してやりたいと思っている。
しかし、もしかしたらチョロチョロ犬の方だって、思う存分、心ゆくまで吠え立てたい時があるだろう。それは犬の本能だから。

九十歳。何がめでたい
佐藤 愛子 (著)
小学館 (2016/8/1)
P51








DSC_2646 (Small).JPG一畑寺(一畑薬師)


タグ:佐藤 愛子
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