不気味に静寂な町 [社会]
犬の吠え声だけではない。子供が叫んだり泣いたり歌ったり、力いっぱい騒ぐ声も私は好きだ。~中略~
だがその天使の合唱をうるさいといって怒る人がいるのだ。保育園の隣に住んでいる老人が、うるさくて昼寝も出来ず病気になりそうだと文句をいいに行ったという話を聞いた。今朝の新聞には保育園が新設されるというので反対運動が起きたことが報じられている。
街を走る車はいつからかクラクションを鳴らさなくなっている。 ~中略~
騒音は生活が平和で豊かで活気が満ちていてこそ生まれる音である。
戦争体験者である私は、空襲警報が鳴り響き、町は死んだように鎮まり返った恐ろしい静寂を知っている。犬の吠え声もなかったのは、食料欠乏のために犬を飼う人がいなくなったためだった。「赤犬は食えます」などという人がいたりして、犬もオチオチ吠えてはいられなかった。
町の音はいろいろ入り混じっている方がいい。うるさいくらいの方がいい。それは我々の生活に活気がある証拠だからだ。
それに文句をいう人が増えてきているというのは、この国が衰弱に向かう前兆のような気がする。
時々買物に行くスーパーマーケットは、いつも静かである。客は黙々と商品の間を歩き、黙々と品物を籠にいれる。そして黙々とカウンターに籠をさし出す。
カウンターには「NO レジ袋」と書いたカードが用意されていて、レジ袋が不用な客はそれを籠にいれておくという仕組みになっている。~中略~ 客の方も黙々と金を支払い、籠の中身をレジ袋に詰めて黙々と出ていく。なぜ、
「レジ袋はいりません」
と声に出してはいけないのだろう。
いったいそれは何に対して声を出すことを憚(はばか)っているのだろう?
何者がそう決めたのだろう。それを不思議とも思わず黙々と従っている人たちの不思議。
九十歳。何がめでたい
佐藤 愛子 (著)
小学館 (2016/8/1)
P55
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