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トチの実 [雑学]

 そこ(住人注:高室院の表口)に大きな桶があって、山より引かれている樋から、間断なく水がそそぎつづけられている。
桶のなかに、大ぶりの栗の実のようなものが填(つま)っていた。一個つまみあげると、栗の実に似ているが、頭がとがっていない。
「トチ(栃、橡)の実ですよ」
 と、勝山さんがいわれたので、目が覚めるような感動でそれを見直した。縄文時代の主要な食物のひとつなのである。~中略~
十津川郷にあっては、太古以来、ほんの三十年ほど前まで、これが主食のひとつだったのである。幕末の文久三年(一八六三)四月、上平主税ら一郷の有志総代七人が京にのぼって中川宮にさしだした「十津川郷由緒書」にも「・・・・・不毛の地にて、食に乏しく、土民ども、雑穀、木の実を食(くら)ひ」といっている木の実とは、主としてこのトチの実であった。
~中略~
 トチの実はにがい。その苦味はサポニンとかアロインによるものだというが、ともかくそれを去らなければ食物にならないのである。
「厄介なものですよ」
 と、老神職はいった。
 まずあの固い外皮をむいて中身を灰汁(あく)に数日もしくは一週間つけておくことからはじまるのである。そのあと流れの速い谷川の水で一週間さらす。その上で木の臼に入れて舂(つ)き、それへモチゴメを入れて蒸し、しかるのちにだんごにして食う、という。
 トチの実を食べるのは日本だけでなく、中国の華南の高地に住む少数民族の一部でそれが見られるらしいが、私はよく知らない。
日本には、栃とか橡、あるいは杤(とち)、杼(とち)の文字を冠した地名が多い。吉田東伍博士の「大日本地名辞書」の索引に載っているだけでも、三十三カ所ある。越後の橡尾、越前の橡泉、下野(しもつけ)の栃木、磐城の栃窪、陸中の栃内(とちない)、上野(こうずけ)の栃本、武蔵の栃谷、信濃の杤原といったぐあいである。
主として北陸、関東、奥羽に多いのは、九州から畿内に入った水田耕作があるいは北進し、あるいは東進し、平安後期になってようやくそのあたりに及ぶといった地方と偶然かどうか、かさなっている。水田耕作には自然の適地ならともかく、やや農業土木を必要とする地帯は、農業土木を興(おこ)すに必要な条件がととのってから水田化するわけで、それまでは縄文時代以来の食物に多くを頼らざるをえず、そういう暮らしの中では、トチの木の多い尾根、峠、谷が重要な意味を持ち、自然地名として呼称されがちになるのかもしれない。
 トチを冠した地名の印象は、暗く重い。
 植物としておなじ仲間であるマロニエが、明治大正の日本人にパリの華やかさの象徴として印象されたのとずいぶんちがっている。

街道をゆく (12)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1983/03)
P168





DSC_6373 (Small).JPG十津川


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