ギスギスとして小うるさく、住みにくくなった国 [日本(人)]
異物が混入したらしいビーフカツの、その異物とはどんな物かと尋ねると、はっきりしないがプラスチィックのカケラみたいなものじゃないか、という話だった。
正体もよくわからない。混入したかどうかもわからない。「らしい」という話だ。「らしい」でけで廃棄するのか!四万枚も!
しかしそれが文明国のなすべきこと、あるべき姿だといわれれば、そうですか、といって引き下がるしかしようがない。
もしもプラスチィックのカケラが混入していれば、口に入れると下に触るだろうから、その時は吐き出せばいい、それだけのことなのに、もったいないねえ。大袈裟だねえ・・・・・などと、落ちぶれた主婦魂の持主たちはひそひそといい合うのみだ。
この頃のこの国を、やたらにギスギスとして小うるさく、住みにくくいちいちうるさく感じるようになっているのは、何かにつけて雨後の筍(たけのこ)のように出てくる「正論」のせいで、しかしそう感じるのは私がヤバン人であるためだということがここまで書いてきてよくわかったのである。
九十歳。何がめでたい
佐藤 愛子 (著)
小学館 (2016/8/1)
P185
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