住吉の神 [雑学]
住吉大社は大阪の住吉区にあるお宮だが、古代、応神・仁徳という天皇名で残っている大阪湾沿岸の王朝のころから、現在の場所にあったらしい。その王朝が、安曇と呼ばれている九州から瀬戸内海にかけての海人族を支配下に置いたとき、海人たちがそこに自分たちの海の神を祀ったのであろう。その伝承が、「古事記」のなかにも説話化して取り入れられている。
~中略~
右の住吉の神は、もとは筑紫で奉ぜられていたのが、海人族の東進とともに、大阪湾沿岸の墨江(すみのえ)の浜に移された。
元の住吉神社も、残っている。福岡市の博多駅から南西へすこし行ったところにあり、ここもいまは市街地化しているが、古代はこの付近一帯は海部(あま)郷といわれ、海人族の根拠地であった。
古代海人の神である住吉の神が、いまも淡路の由良の漁民にたちに尊崇されて、漁船の半分までが「住吉丸」という名まえがついているというのは、漁村における伝統の持続力のつよさをおもわせる。
街道をゆく (7)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1979/01)
P153
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