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カトリックとプロテスタント [宗教]

 腐敗を極めるカトリック教会に対して、一五一七年、敢然と「九五ヵ条の論理」を突きつけたのがマルチン・ルターであり、バチカンに反感を抱いていたザクセン公の後援により抵抗運動は広がる。やがて、ヨーロッパをカトリックと二分するプロテスタント(抵抗する者)が形成されていき、東方正教と合わせてキリスト教三大宗派の地位を築く。
 ここまでは一応、日本の教科書にも書いてある。問題は、なぜ贖宥(しょくゆう)状が許せなかったかである。ルターは単に「クリーンな協会」を目指したのではない。現代社会の宗教原理主義をはるかに凌駕する危険思想ゆえに、ローマ教会に楯突いたのである。
 プロテスタントの教義の本質は豫定(よてい)説である。すなわち、天地開闢(かいびゃく)のときから終末まで、すべて全能の主(God)によって豫(あらかじ)め定められている、という考え方である。 この世で起きる理不尽な事象も、人間には計り知れない主の意思により完璧に定められていると考える教義である。
 理の当然として、人間に自由意志はない。天国に行く者も、天地開闢のときに定められているのだから、教皇に贖宥状を発行する権利などない。これがルターの主張の本質である。
 ルター派は一五二五年のドイツ農民戦争で、自分たちの信仰よりもスポンサーであるザクセン公の利益を優先した。そのルター派を批判して成立したのが、カルバン派である。  フランス人のジャン・カルバンは流浪の末にスイスのジュネーブの街で神権政治を行なう。つまり、宗教原理主義者が国を乗っ取って、恐怖政治を敷いたのである。
 カルバン配下の「夜回り隊」は市民生活に入り込み、「正しい信仰生活を送っていない」と見なされれば、宗教裁判の後に処刑された。もちろん、疑われたという事実が有罪の証拠である。「夜に音楽を聴いていれば、正しい信仰を捨てたので処刑」が、当時のジュネーブである。
 ちなみに、ルター派やカルバン派のようなプロテスタントは、現在も世界中で影響力を持っているが、あまりにも危険すぎてルター派やカルバン派からも排撃され、絶滅させられたツヴィングリ派という宗派もある。

日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)
P55

 

DSC_3761 (Small).JPG赤間神宮

P70
江戸幕府は決してキリスト教全体を禁止したのではなく、カトリックこと「切支丹」を禁止したのである。~中略~
 それはともかく、カトリックが布教して警戒されたのに対して、プロテスタントは貿易に終始した。この理由こそ、両者の教義の根本的相違である。  両派とも、主(God)を万能の絶対者と見なす。なぜ主は万能なのか。カトリックは「奇跡」を根拠とする。主はいついかなるときも奇跡を起こせるから、万能なのである。
 それに対して、プロテスタントは「豫定(よてい)」を根拠とする。主は、天地開闢のときに、終末(ハルマゲドン)までの事象を豫(あらかじ)め定めていたとする。よって、最後の審判の日において、天国に行く者と地獄に行く者も豫め定められている。有色人種は天国に行けるように定められていないので、布教などという無駄なことはしないのである。
 江戸幕府にとって、布教を通じて日本を支配しようとするカトリックは、敵として排除する必要があったが、より一層の悪意を抱くプロテスタントのオランダ人は無害だったから、二百五十年の友好が成立しえたのである。

 私どもは、カトリックの神学史が人類の思想史のもっとも重要な部分をなしていることを知っている。
 これに抵抗したプロテスタント(新教)の歴史は、たかだか四世紀あまりでしかない。
 カトリックの場合―いまはかならずしもそうでhないが―神と人間とのあいだに教会が介在していて、独占的なおろし問屋ににっていた。古代ヨーロッパ以来、教会が”未開”の人間を飼いならしてきた歴史の結果として当然のかたちだったと思える。そのためにカトリック教会は神学の進歩とは別個に中性的なものをその体質の中にたっぷり溜めこんできた。
 これに対し、
 「神と個人が直(じか)取引する」
 という飛躍から新教がはじまっている。唇頬においては、個人の信仰のみが決定的な要素であり、そこから個人の尊重や尊敬もうまれる。むろん個人の自律性も要求され、勤勉や作業規律という近代の徳目もうまれてくる。
 大ざっぱにいえば、ヨーロッパで累積しつつあった商工業的体験の結果として新教は必要なものとしてうまれ、ひろまったものにちがいない。
商工業(あるいは商品経済)は、人間にモノの質と量を教えた。また売買や貸借の行為の中で、個人というものを訓練した。新教は人類のあたらしい段階でのチエとココロに対し、よく作動した。
 これら新教徒が、初期のアメリカ合衆国をつくったのである。

アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P208


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