キュアからケアへ [医療]
P80
「死の病院化」を経過したあとの在宅医療は、それ以前のものとはまったくちがうものになった、と言いました。
それを表現しているのが、「キュアからケアへ」のパラダイム転換です。
このパラダイム転換を領導する鹿児島市在住の中野一司医師によれば、病院は「キュア(治療)」の場、在宅は「ケア(看護・介護)の場。
病院は死と闘う場、在宅は死を受け容れる場。治療をしなければ医師の出番はあまりありません。医師は病院では主役ですが、在宅では、家族や介護職、看護師に寄り添う脇役になります。ケアの現場では医師は、介護職、看護職など多職種連携チームのワン・オブ・ゼムになりますし、そうなったほうがよいのです。
~中略~
在宅看取りの現場を見ると、最近では「看取りに医師はいらない、訪問看護師でけでじゅうぶんだ」という声もありますし、もっと踏み込んで「看取りに看護師もいらない、介護職だけで看取りができる」という声さえあることは前にお話ししました。
P205
もしかしたら、ケアとは「家族には向かない仕事」なのかもしれません。第三者だからこそ、目の前にいる老人をありのままに受け入れることができる、のかも。
後藤さんもこう書いています。
「家族は、認知症で変わり果てた父親や母親に傷ついてしまう。他人ならば病気だから仕方ないと、調子をあわせられるのだが、家族だとそうはいかない。怒ったりいらだったり叱ったりし、悪循環になることも多い。病気を受け入れて、いままでの関係性を変えるのは、そう簡単ではないし、上手に励ましたり、おだてて行動させたり、ときには嘘も方便で演技をする、などということは家族だからこそ抵抗があるものなのだ」
おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)
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