仏さまの数だけ人間の苦しみも多かった [見仏]
大和古寺を巡るにしたがって、私の心に起った憂(うれ)いとはつまりこうだ。代々の祖先が流血の趾(あと)を見て廻るものの不安といったらいいか。何故こんなに多くの仏像が存在するのだろう。三千年のあいだ、諸々の神仏あらわれて、人々の祈りに答え、また美しい祈願の果の姿となって佇立している。
かくも見事な崇高な古仏がたくさん列(なら)んでいて、しかも人間はいつまでも救われぬ存在としてつづいてきた。どちらを向いても仏像の山、万巻の経典である。古来幾百人の聖賢は人間のため道を説き血を流した。
いま我々はその墓場を訪れ、そうかしてこの現世の大苦難を脱(ぬ)けきる道を示し給(たま)えと祈るのであるが、そして素晴らしい啓示や教(おしえ)に接し、日々その言葉を用いるのであるが、苦難は更に倍加し人間は何処へ行くべきかを知らない。古典を受け継ぐことなのか。
はじめ古典はその甘美と夢によって我らを誘うであろう。だが、汝等固有の宿命に殉ぜよという追放の宣言がその最後の言葉となるのではなかろうか。
かくも無数の仏像を祀って、幾千万の人間が祈って、更にまた苦しんで行く。仏さまの数が多いだけ、それだけ人間の苦しみも多かったのであろう。一軀(く)の像、一基の塔、その礎(いしずえ)にはすべて人間の悲痛が白骨と化して埋もれているのであろう。久しい歳月を経た後、大和古寺を巡り、結構な美術品であるだどと見物して歩いているは実に呑気(のんき)なことである。
大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P78
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