鳥仏師 [見仏]
鳥仏師は決して独創的な仏師ではなかったし、飛鳥時代の代表的彫刻家というような意識で造仏したのでもなかった。
彼は驚くほど誠実に勅願を承(う)け、また太子の御心に服従した人である。御悲願を正しく心にとめて、北魏伝来の形式にそれを刻まんとしたのである。
鳥の偉大さは、彼の全き畏敬(いけい)と服従にあると私は思っている。
像においてはひたすら先人の作を模倣した。厳格に一つの手本を学び、自己の何ものをもつけ加えようとしなかった。彼はただ御悲願の完璧に盛られることを念じつつ創(つく)ったのであって、あらゆる点で絶対服従のみが彼の最大美徳だったのである。
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これによって明らかなように、鳥は帰化人司馬達らの孫にあたるが、祖父より代々朝廷に仕えて仏法のためにつくした家柄である。
~中略~
金堂の釈迦像もかような心情を無視しては真に解することは出来ないであろう。推古天皇と上宮太子、及び鳥仏師との間の信仰に結ばれた君臣の情が、あの無比の畏敬となってあらわれたのであろう。しかし、釈迦像には感傷的な何もない。おそらく鳥の、「私」を滅却した全き帰依が然らしめたのである。
―昭和十七年秋―
大和古寺風物誌
亀井 勝一郎 (著)
新潮社; 改版 (1953/4/7)
P85
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