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リバタリアン・パターナリズム [言葉]

Pⅳ
 本人の選択の自由を重視するのがリバタリアンである。しかし、行動経済学が明らかにしてきたように、人間の意思決定が合理的なものから乖離することがあるのも事実である。
その場合に、本人の選択の自由を最大限確保したうえで、よりよい選択を促すような仕組みを提供することが望ましいという考え方が、リバタリアン・パターナリズムと呼ばれる考え方である。~中略~
 リバタリアン・パターナリズムで、人々の行動変容に用いられる手法の代表的なものにナッジがある。
ナッジとは、「軽く肘でつつく」という意味である。例えば、企業年金に全従業員を加入させておいて、制度からの退会の自由にしておくことは、デフォルト(初期設定)から変更しにくいという人の特性を使ったナッジである。~中略~ 加入や退会のための手間が非常に小さければ、十分に選択の自由が確保されていると考えられる。それにもかかわらず、私たちの行動はデフォルトに左右される。

P103
 政府やコミュニティなどの個人を越える存在が行う介入を正当化する考え方として、行動経済学では、「リバタリアン・パターナリズム」という概念がある。
リバタリアン・パターナリズムとは、望ましい選択の方向性が明らかな場合、その選択肢を選びやすくする設計を導入しつつも、それを選択したくない場合、その選択を拒絶する自由を与えられるべきであるという考え方である(2)。
がん検診の文脈で説明すれば、がん検診を受けたくないという意思をもつ人にがん検診を無理に受けさせようとは考えないが、がん検診を受けたいという人の行動をそっと後押しする政策はリバタリアン・パターナリズムの政策だと言える。
 がん検診の場合、その対象となる本人にとって、がんの不利益はがんに罹患して初めて認識される。そのため、がん検診を受ける前後の時点においては、がん検診を受診することの利得が、将来発生するために大きく割り引かれて小さくなってしまう。
逆に、仕事を休まなければいけなかったり、検診で、痛い思いしたりするといった不利益、すなわち損失は検診前後の時点で発生するので大きく認識されることになる。そのため、リバタリアンの考えに基づき完全に個人の自由意思での選択とすると、多くの人はがん検診を受診するということを積極的に選択しなくなる。
あるいは、がん検診を受ける価値があると思っている人であっても現在バイアスのために、受診するという選択を先延ばしすることになる。
 一方で、リバタリアン・パターナリズムの考え方に基けば、対策型がん検診において、「人々がより長生し、より健康で、よりよい暮らしを送れるようにするため」にがん検診を受診するという選択を、人々に積極的に働きかけ、選びやすくるという対策や制度の導入が正当化できる。
 ただし、リバタリアン・パターナリズムのもとでは「がん検診を受診したくない」という意思と「がん検診を受診しない」という選択は当然尊重されなければいけない。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)

DSC_5817 (Small).JPG水天宮


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