黒田 官兵衛 [雑学]
織田勢力が播州まで伸びたときに、播州の大小の勢力はこれをきらい、毛利・本願寺方についたが、官兵衛は四面ことごとく敵という政治的惨境のなかにあって織田方に与(くみ)し、信長の代官である羽柴秀吉に属するという思いきったカードを選んだ。
中世末期の人として官兵衛のおもしろさはこのことにすべてを賭けて、たじろがなかったことである。
自分の個人的信念をあくまでも持(じ)しぬくという点では、日本の歴史の中ではめずらしい存在といっていい。
かれは自分の累代の居城である姫路城まで秀吉にくれてしまい、かれ自身は住まいがないまま、家族と家臣をひきい、姫路の北方十里の山里である山崎に移った。
自分の賭けに対するこれほど思いきった忠実さとか、あざやかな見きわめといった感覚は、ひとつには官兵衛の祖父が商人(目薬の委託販売)であったことからも来ているといってよい。
この点、かれは江戸期の武士や文人よりはるかに痛烈な合理主義をもっていたといっていい。
街道をゆく〈9〉信州佐久平みち
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1979/02)
P112
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