解るレベル [教育]
凡そものが解るという程不可思議な事実はない。
解るという事には無数の段階があるのである。
人生が退屈だとはボードレールもいうし、会社員も言うのである。
「測鉛Ⅱ」1-110
新潮社 (編集)
人生の鍛錬―小林秀雄の言葉
新潮社 (2007/04)
P11
日本の近代批評の創始者であり、確立者でもある小林秀雄―。厳しい自己鍛錬を経て記されたその言葉は、没後二十余年の今日なお輝きを増し続け、人生の教師として読む者を導いている。人間が人間らしく、日本人が日本人らしく生きるためには、人それぞれ何を心がけ、どういう道を歩んでいくべきか。八十年の生涯の膨大な作品の中から選り抜いた、魂の言葉四百十六。
「わかりきったこと」というのはつまらない。ところが「まるでわからない」というのもおもしろくないのである。
おもしろいのは「わかりかけるとき」「わかったのがわかったとき」とでもいったところだろうか?
人間は「わかりたい」のだろう、と私は思う。わかるとうれしいいように脳ミソができているのじゃないだろうか?
わかりきったことを言われると退屈するのは、その先にうれしくなる可能性がなかいらである。まるで歯が立たないくらいに「わかりにくい」のがつまらないのも、うれしくなる可能性に希望が持てないからだろう。
この、わからないでいるうちの、苦しさに耐性のある人は、より深くわかる人である。
あまり早くわかりたいとばかり思う人は、通りいっぺんのことしかわからない。
南 伸坊
心理療法個人授業
河合 隼雄 (著), 南 伸坊 (著)
新潮社 (2002/06)
P173
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