道具は得心がいくまで研け [哲学]
時代が進歩した言いますけどな、道具はようなってませんで。
P40
得心が行くまでというのは、これ以上研げんということですな。
そうすれば、道具は、頭でおもったことが手に伝わって道具が肉体の一部のようになるということや。
わしらにとって、道具は自分の肉体の先端や。
P41
西岡 常一 (著)
木に学べ―法隆寺・薬師寺の美
小学館 (2003/11)
法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろしたベストセラー、待望の文庫版。宮大工の祖父に師事し、木の心を知り、木と共に生き、宮大工としての技術と心構え、堂塔にまつわるエピソード、そして再建に懸ける凄まじいまでの執念を飄々とした口調で語り尽くしている。氏が発するひとつひとつの言葉からは、現代人が忘れかけている伝統的な日本文化の深奥が、見事なまでに伝わってくる。
P133
先年、一年ほど大工さんのそばで暮らし、その研ぎを見ていた。はじめのうちは姿勢やら手の運動やらを見て、なるほどなあと思っていたが、あるときはっきり心に落ちるものがあった。
大工さんたちは心ゆくばかり研ぎあげていて、決して間に合わせということをしていない。
運針も研ぎも、私はずっと間に合わせでしていた。間に合わせとは、なんと愚劣なことかとしみじみ思う。
P121
(住人注;棟梁さんの話)大工は木を切り削り、刃物を研ぎに研いで仕事をする、いってみれば木も刃物も砥石もどれもみな、減らし痩せさせながら、自分もまた老いて一生を終わります。
だから、せめてその日その日、木にも刃物にも石にも、後悔の少ない付き合いをしていきたいと思います、と。
幸田 文 (著), 青木 玉 (編集)
幸田文しつけ帖
平凡社 (2009/2/5)
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