害あるものは怨望より大なるはなし。 [処世]
凡そ人間に不徳の箇条多しと雖も、その交際に害あるものは怨望より大なるはなし。
貪吝奢侈誹謗(どんりんしゃしひぼう)の類は、何れも不徳の著しきものなれども、よくこれを吟味すればその働きの素質において不全なるにあらず。
~中略~
怨望はあたかも衆悪の母の如く、人間の悪事これに由って生ずべからざるものなし。
疑猜、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、皆怨望より生ずる ~後略~
福沢 諭吉 (著)
学問のすすめ
岩波書店; 改版版 (1978/01)
P133学問のすゝめ 十三編
P16
イエス
敵を愛し、あなたを憎む者に親切にしなさい。あなたをののしる者を祝福し、侮辱する者のために祈りなさい。上着を奪われたら、下着を与えることさえ拒んではならない。求める者には誰にでも与えなさい。誰かがあなたの物を奪っても、取り返そうとしてはならない。
ルカ伝
P17
ブッダ
この世の憎しみは憎しみによってやむことはなく、愛によってのみやむ。これは永遠の真実である・・・・
愛によって怒りに打ち勝て。善によって悪に打ち勝て。与えることで貪欲に打ち勝て。真実によって偽りを言う者に打ち勝て。
ダンマパダ
今枝 由郎 (翻訳), 鈴木 佐知子 (翻訳), 武田 真理子 (翻訳), マーカス・ボーグ
イエスの言葉ブッダの言葉
大東出版社 (2001/10)
仕返しをしてはならない。
敵を傷つけるよりも自分を傷つける結果となるからだ。
私たちはアイゼンハワーの態度を見習おう。
つまり、きらいな人について考えたりして、一分間たりとも時間を無駄にしないことだ。
デール・カーネギー (著) 香山晶 (訳)
道は開ける
ハンディーカーネギー・ベスト
創元社 (1986/11)
P191
1888年、米国ミズーリ州の農家に生まれ州立学芸大学卒業後、雑誌記者、俳優、セールスパーソン等雑多な職業を経て、YMCA弁論術担当となり、やがてD.カーネギー研究所設立。人間関係の先覚者として名声を博す。1955年、66歳で死去。
自分の本業に力をそそぎ、充分に成果を得ている人は、同じような仕事をする人や商売がたきに対しては寛容で、理解ある広い態度を示すものだ。
しかし、自分の仕事を充分になしきっていない人、お金目当てだけで渋々働いているような人は、商売がたきに対してあらぬ恨みや憎しみを抱く。
同じように、自分の人生をまともに生きていない人は、他人に憎悪を抱くことが多い。
「曙光」
超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
131
P226
第三の方法は、人の非難悪口をもって、自己反省の材料に供するのである。これは何人も普通に承知しておることで、例えば、「かかることは事実無根の風説に過ぎざるも、かかる説を出(い)ださしめたのは、自分の不徳の致さしめたるところ」というようなことは、常に聞くところである。
その意味は非難された点は事実に違うているが、すでにかかる誤解を受けたのは、自分の徳が薄いからであると、その不徳を反省するのである。
しかし、その人は果たして文字通りに、心の真底からそう思うておるかと見るに、はなはだ立ち入ったことであるが、実は自分の不徳なることを、衷心より感ずる人は少数であろう。むしろ、非難した人を非難し返し、「けしからぬ奴」と思う者が多い。古歌に、
憎むとも憎み返すな憎まれて
憎み憎まれはてしなければ
と教えてあるが、とかく人は非難を受けると、反省ということに進まずして、かえって相手を自分の敵として憎む。
憎むからまた憎み返される、また、これを憎み返す。互いに憎み合うて果てしがなく、結局は限りなく悪感情を養成するに過ぎぬ。
P229
我々がその名誉を毀損され、侮辱されたならば、及ばずながらこれらの侮辱した者を憐み愛することを努めたい。
さすれば彼らを愛するまでに至らなくとも、憎み怨むことだけはやむであろう。
修養
新渡戸 稲造 (著)
たちばな出版 (2002/07)
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