自由と我儘との界 [処世]
学問をするには分限を知ること肝要なり。
人の天然生まれ附きは、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、
ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば我儘放蕩に陥ること多し。
即ちその分限とは、天の道理に基づき人の情に従い、他人の妨げをなさずして我一身の自由を達することなり。
自由と我儘との界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。
福沢 諭吉 (著)
学問のすすめ
岩波書店; 改版版 (1978/01)
P14 学問のすゝめ 初編
当たり前のことだが、自由と孤独は仲良しである。
水無田気流「黒山もこもこ、抜けたら荒野」
大山 くまお (著)
名言力 人生を変えるためのすごい言葉
ソフトバンククリエイティブ (2009/6/16)
P94
自由とは、言葉の意味としては、他から制約を受けず、思うままに行動すること、であろう。
だったら、自由は実は、いつも他からの制約とセットになっているはずである。
無人島で暮らす人は他からの制約をあまりうけない(と言っても、実は自然から大いに制約をうけているのだが)が、だからといってその人を自由でうらやましい
とは思わないものである。
普通の場合、人は社会の中に生きているから、社会から制約を受ける。人のものを盗んではいけないとか、自分で産んだ子は育てなきゃいけないとか、授業中に騒いではいけないとか。
それに対して、そんなこと知るもんか、おれは勝手に好きなようにする、というのは言葉の意味としては自由だが、認められている自由ではない。
自由というのはそういうふうに、一方に制約があって、それに対して時代ごとに、社会状況ごとに、どこまでは勝手を認めるか、という形ででてくるものである。
~中略~
自由というのは、どうもそういうものらしい。先に、人間には社会的なルールがあり、制約があって、してはいけないことがたくさん決まっているのだ。そして次のステップとして、不要な面まで人を制約することはないんだから、これぐらいは勝手を認めるか、という形で自由が与えられる。もしくは民衆が勝ち取る。
もっとどうころんでも社会科
清水 義範 (著),西原 理恵子 (イラスト)
講談社 (1999/12)
P87
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