中心と周縁 [国際社会]
養老 孟司
アジアでわかるような気がするのは、日本を除けばタイ、カンボジア、ベトナム、ブータン、スリランカ、インドネシアといった地域です。文明的に見ればアジアの中心は、中国とインドであり、いまあげた国々はその周辺領域です。
そして日本も、どちらかと言えば周辺領域に属しているのではないかという気がするのです。
どうしてこんなことを言うかというと、日本がアジアのリーダーシップをとるべきかという議論がありますが、僕はそれはやめたほうがいいのではないかと思っているからです。
行ってみればすぐにわかります。タイやインドネシアには比較的なじみやすいですが、やはり中国社会は日本人にとってかなり異質なところです。中国に行くことは簡単ですが、そこで中国社会に溶け込んで暮らしていくことは、日本人にはかなり厳しいような気がします。
森 毅 (著), 養老 孟司 (著)
寄り道して考える
PHP研究所 (1996/11)
P197
近ごろ、中心と周縁ということがよくいわれるが、そのような問題の立て方には二つほどの考え方がみとめられるであろう。
一つは、文化や政治が「中心」の地域で衰え周辺への影響力を失うと、「周縁」の地域に新しい勢力が生まれ、創造的な活力を発揮することがあるという考え方である。
もう一つは、「中心」の文化は知識や情報が次々と蓄積され、多層的な複合文化を形成しているが、これに対して「周縁」の地域は、過去の時代の伝承や情報を豊富に埋蔵する古層の文化を保存する地帯である、という考え方である。
山折 哲雄 (著)
神と仏
講談社 (1983/7/18)
P66
由来、日本列島は東アジア圏の辺際に連なる。その東側は茫洋たる太平洋である。
二千年来、雪山を越え、流沙を渡り、黄塵にまみれて、層々と東漸する文化の波は、すべて日本列島という防波堤に遮られて、波瀾と曲折を繰り返しながらも、結局、この列島の風土に沈静する。謂うなれば、日本列島は、東漸する文化の吹き溜まりである。
そこに、日本文化の顕著な特徴である、様式と実年代のズレが生まれる。
また、受けとめたものを次へバトンを渡すすべもなく、自己の内部に充分に淳化発酵させて、いわば上澄としての日本文化が生まれるのである。
ぼくの古寺巡礼
土門拳 古寺を訪ねて―斑鳩から奈良へ
土門 拳
小学館 (2001/07)
P191
沖縄には室町以前の古い日本語がカンヅメのように残されているだけでなく、日本人の古代信仰の原型が、まだいきいきと生きている。
たとえば、三輪山のように山そのものが神体であることが普通だし、神事は夫人がつかさどり、男どもはその夫人を通じてしか神に接することができない。
街道をゆく (1)
司馬 遼太郎 (著)
朝日新聞社 (1978/10)
P74
街道をゆく 1 湖西のみち、甲州街道、長州路ほか (朝日文庫)
- 作者: 司馬 遼太郎
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2008/08/07
- メディア: 文庫
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