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言語の本質 [言葉]

 目の前をパッと通り過ぎた生き物のことを、額が白で、前足が黒で、背中が茶色で・・・と覚えるよりは、「シカ」というシンボルとして覚え、そのシンボルの記憶をコミュニティへ持って帰って「シカを見た」と言ったほうが、体験を仲間と共有できる。

 どんなに直観像記憶があっても、その体験を他者と共有できない。
だから人間は、言語というものを生み出す過程で、瞬間的な直観像記憶を失った。どうして失うかというと、脳の容量が決まっているからだ。

 コンピュータだったら、新しい機能を付け加えるには、新しいモジュールを増設すればいい。
でも、脳の場合は容量が決まっているから、何かを捨てる必要がある。
運動能力や嗅覚を失ったのと同じように、瞬間的な直観像記憶を失うことによって、逆にシンボル、表象、言語というものを得たのだろう。

 どこでトレードオフが起こったかというと、たぶんホモ属が出現する二五〇万年前くらいだろう。
ホモ属が出てきたところで脳の容量が四〇〇ミリリットルぐらいから一気に八〇〇ミリリットルぐらいに増えた。
たぶんその頃に、人間的な子育ての方法も始まり、石器も作るようになった。
人間的な子育てをするということは、母親だけでなく複数の大人たちが協力して、複数の子どもたちを同時に育てるということだ。
コミュニティの中での利他的行動や協力や役割分担が必須になる。そうした場面では言語が役に立つ。
なぜなら、一瞬見たものにラベルを貼って、「シカ」なら「シカ」という認識をコミュニティに持ち帰って、「シカを見たぞ」「さぁ、みんあで捕まえに行こう」というような意味内容を伝えられるからだ。
~中略~

 言語の本質は、携帯可能性にある。情報を持ち運べる。経験を持ち運べる。
それが言語の適応的な意義ではないか。経験を持ち運んで、他者と共有する。

想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
松沢 哲郎 (著)
岩波書店 (2011/2/26)
P174

 

-7bd0c.jpg長野市若穂保科 清水寺(せいすいじ)

P73
  人間は言葉以前、抽象概念以前の原体験として、言葉以前の肉体の全感覚器官を通じた、リアリティとのふれあい体験を山のように持っていて、そのうえに概念世界を きずきあげたのだ。そのような原体験なしには、人はいかなる考えも持ちえない。いかなる概念もきずきえない。
~中略~

 そして、先に述べたように、その原始的体験の言語以前の部分は、個人の脳の中ではヴィジュアルな原始記憶として蓄えられている。
その言語以前の記憶が、言語表現を獲得したときにはじめて人は「わかった(ユーレカ)」というわけである。それ以前は「わかった」が 出てこないから、人間はつい、自分は言葉で考えているのであって、言葉が出てくる以前は考えていないのだと思いこんでしまう。
しかし、現実は、人間は言葉で考えている のではなく、言葉が出る以前から考えていることを言葉にするだけなのである。
では言葉になる以前の考えとは何かといえば、主として(それだけとはいわないが)頭の中の ヴィジュアルで素朴な原始記憶と、その集合や組み合わせを頭の中でこねくりまわしているうちに、あと一歩で言葉になりそうなレベルまできたときに生まれてくる「非言語的 原始概念」というべきものだろう。
それはまだ言葉にならないが、「もうちょっとでそれにふさわしい言葉が見つかりそう」というときに感じるあのもどかしさの背後にあるモヤモヤ である。
人間が本当に何かを考えるというのは、あのモヤモヤの中で、モヤモヤの霧を何とか少しでも晴らしたいと思って五里夢中状態のままあたりに手をさしのばしてあが いているあのてさぐりの状態そのものをいうのだ。

ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術
立花 隆 (著)
文藝春秋 (2001/4/16)

五木 私はこう思うんですよ。言葉というものは、その実体がなくなったとき、消滅する。
平凡社の百科事典から「ボタ山」という言葉が消えたのは、それは「ボタ山」自体がなくなったからなんです。

気の発見
五木 寛之 (著), 望月 勇
幻冬舎 (2005/09)
P29

 複雑な思考には必ず言語が伴っています。
ですから、言語には、シグナルとしての動物的な使い方と、思考のためのツールという利用法があります。
 そういうふうに見ていくと、ほかの動物と人間を分けているものは言語であり、逆に言語以外はの部分は、ヒトと動物は結構似ているような気さえしてきます。
 面白いのは、人間には言語野があって、言語を自然に作り上げる能力を持っていること。  

脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P244  

 ことばは、過去の英知を含み込み、未来に運ぶタイムマシンのようなものだ。何百年も前の人々の思想や感情を、そこからいつでも取り出せる。
鈴木健一

からだ (人生をひもとく 日本の古典 第一巻)
久保田 淳 (著),佐伯 真一 (著), 鈴木 健一 (著),高田 祐彦 (著),鉄野 昌弘 (著),山中 玲子 (著)
岩波書店 (2013/6/19)
Pⅶ


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