二河白道(にがびゃくどう) [宗教]
もしお宅にお仏壇があって、本尊の脇に下半身が金色に塗りつぶされている僧侶の図が掛けられてあれば、それが善導(シャンタオ)です。善導は七世紀に活躍した中国浄土仏教の大成者です。法然が全面的に依拠した人です。~中略~
この善導の主著に「観経四帖疏」というのがあって、その中の「散善義」という巻に「二河白道」の比喩が出てきます。
~中略~
大雑把にお話しますと、以下のような構成になっています。
ある人が西に向かおうとしたら、突然目の前が開けて、左手にはすべてを焼き尽くすような火の河、右手には荒れ狂う大波が寄せる水の河であることに気づく。
よく見ればその二つの河が激突している中に 一本の白い道がかすかにある。
まわりには誰もいないし、とてもこの道を歩いていけるとは思えない。立ちすくんでいると、その人に向かって大勢の賊や飢えた猛獣たちが襲ってくる。絶体絶命!ダイハード!(←使い方、間違っている)
前にも進めない、後戻りもできない、立ち止まっていることもできない、死は必定の限界状況である。
どうせ死ぬならこの道を歩もう、そう決心したとき、その人は声を聞く。西のほうからは「来い」、東のほうからは「行け」の声である。
その人はその声に従って、無心でその道を渡る
いきなりはじめる仏教生活
釈 徹宗 (著)
バジリコ (2008/4/5)
P199
~中略~
この比喩は、原型らしきものが「涅槃経」や「大智度論」や「略論安楽浄土」などに見ることはできるものの、やはり作者である善導の臨床的観察と自分自身の体験から出来上がったものであると言えます。
さて、ここで語られる象徴的表現はいったい何を指しているかを善導自ら解説しています。
主人公が居るところ=火宅無常の世界
西の岸=浄土の世界
大勢の賊や猛獣=人間の認識や感情や心身を構成するもの
火の河と水の河=人間の過剰な欲望と怒り
一本の白道=人間の中にある仏の心
西の声=阿弥陀仏の呼び声
東の声=釈尊の教え
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