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近代日本のいちばん大事業は教育である [教育]

 近代日本のいちばん大事業は教育である。明治維新政府はそれに全力を傾注した。それが遅れて近代化した日本を、アジアにおける先進国として誇るに足る国にした。
もっともその根底には、江戸時代の寺子屋教育や藩校教育の広範な普及による知力向上が役立っている。

この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P233

この国のことば

この国のことば

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2002/04/01
  • メディア: 単行本

 

DSC_6328 (Small).JPG普光寺磨崖仏

 

P15
杉家(住人注;長州藩の小禄武士で、松陰吉田寅次郎も杉家の子)のひとびとのうごきからみれば松本村の近所の百姓家のそれとかわらないが、侍の家と百姓たちを区別しているのは、その名誉心による緊張感と規律性にあるらしい。
 たとえば、秣刈りから帰ると、朝食である。それがすむと、寅は二つ上の兄とともに畑へゆき、あぜ道にすわって素読をはじめる。
ほどなく父の百合之助が畑へ出、耕作をはじめる。畑を打ってやがて子供たちのいるあぜ道までくると、必要なくだりを教え、教えると離れて耕しをすすめてゆく。
終日、このようであり、毎日かわらなかった。かれらの初等教育はすべて畑でおこなわれ、一度も机の上でおこなわれたことがなかった。
 この程度の侍の家は、ほぼこのようなものらしい。初等教育の教課内容は、四書五経であった。

当主の百合之助も武士であるかぎり読書時間が必要であり、しかし、百姓仕事のために時間がなかった。
夕食がすむと、百合之助はかならずひと息入れる。そのあと米を搗く。米を搗きながら書物を読む。これがために米搗きの台の上に見台がとりつけられていた。
江戸期三百年が教養の時代であるとすれば、それが煮つまったこの時期、長州の片田舎にすむ平凡な武士までがこのようにして暮らしていたことを、この時代の歴史像を知るうえで知るべきであろう。

P37
松陰は貧家の出ではあったが、教育にだけはめぐまれていた。
日本の封建時代というものは、教育という面ではあるいは理想にちかい実質をもっていたといえるかもしれない。

P47
 徳川社会というのは知識人口の厚さという点では同時代のヨーロッパの文明国をぬきんでているが、その特徴のひとつは知識人口が首都である江戸に集中しておらず各藩に分散していることであり、むしろ江戸のいわゆる旗本八万騎の教育水準よりも田舎の諸藩のそれのほうが高いことであった。

世に棲む日日〈1〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2003/03/10
  • メディア: 文庫

 こんな(住人注;高度な金融)システムが江戸時代に作られていたのである。

 いったい誰が考えついたのだろうか。
 その中心的な役割をしていたのは、江戸や大坂の大店(おおたな)に、年季奉公に出ていた若者である。
大店が労働力の搾取だけをしていたと考えるのは大間違いで、仕事が終わると、年季奉公の子どもを寺子屋に通わせていたし、商売も教えていた。
この時代、すでに金融がかなりの発展をしていたので、それを学んだ年季奉公の若者たちが、年季が明けて生まれ故郷の村に帰り、市場金利などの知識を広めたのである。

世の中の罠を見抜く数学
柳谷晃 (著)
セブン&アイ出版 (2013/3/1)
P55

 

世の中の罠を見抜く数学

世の中の罠を見抜く数学

  • 作者: 柳谷晃
  • 出版社/メーカー: セブン&アイ出版
  • 発売日: 2018/10/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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