悲しみやつらさは細胞の化学反応である [ものの見方、考え方]
よく考えてみれば、神経細胞という細胞が脳に存在するからこそ、今こうやって私の「悲しみ」や「つらさ」がつくられるわけです。そう思い至ると、急に気が楽になります。
「あ、そうか、この悲しみは、悲しみという実態があるわけではなくて、単に神経細胞による化学反応に過ぎないんだ。
脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P72
〇三二
たとえ褒められても、脳内で生まれる「アー、キモチイイ」という快感反応に溺れることなく快感の中毒にならないでいるならば、評価されたからといって、偉そうに振る舞うことはない。
快感の刺激を追い求めないとき、君の態度はやわらかく、その場その場に応じて柔軟に言葉を返すことができるだろう。
このように心が深く落ち着いているなら、特定の宗教や人を信仰する必要もなく、いまさら「心を落ち着けなくては」とがんばる必要もない。
経集853
〇六二
前略~
欲望の実現によって得られる脳内の快感反応は
ほんの一瞬のものにすぎず、
その後は禁断症状のように空しさや不安がやってくる。
「欲望とは、苦なり」と体感したならば、
最高の楽しさを「欲しい欲しい」と求める心が静まる。
~後略
法句経186,187
一四八
ありとあらゆる苦しみは、何かに依存することを縁(きっかけ)にして生じる。
たとえば「好きな人に優しくしてもらうことの気持ちよさ」への依存症になると、少しでも優しくないと感じるたびに苦しみが生じ、相手との関係が険悪になる。
~中略~
依存症になる対象をつくる愚か者は取っかえひっかえ別のものに依存しては脳内麻薬を分泌し、自分から苦しみに近づいてゆく。
苦しみが生まれる元凶を見破ったなら、もはや依存症にかからぬよう、脳内麻薬が抜けていくのをじっと待つように。
経集728
超訳 ブッダの言葉
小池 龍之介 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2011/2/20)
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