SSブログ

四分の三ほどの力で [ものの見方、考え方]

 自分の力の四分の三ほどの力で、作品なり仕事なりを完成させるくらいがちょうどいいものが出来上がる。
 全力量を用い精魂を傾けて仕上げたものは、なんとも重苦しい印象があり、緊張を強いるものだからだ。
それは一種の不快さと濁った興奮を与えることをまぬかれない。しかも、それにたずさわった人間の臭みというものがどこかついてまわる。
「人間的な、あまりに人間的な」

超訳 ニーチェの言葉
白取 春彦 (翻訳)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/1/12)
191

IMG_0034 (Small).JPG

 いつも完全無欠を求めていると疲れるものである。最上を求めるのはしかたないかもしれないが、自分が多少とも気にいることがあれば、それでもいいのではないだろうか。

養生訓 現代文
貝原 益軒 (著) , 森下 雅之 (翻訳)
原書房 (2002/05)
P49

澄む気を養い得て已まざれば、終に冴ゆる気に至る。
冴ゆる気に至れば気漸く化して神ならんとするのである。
冴ゆる気になれば、気象玄妙、神理幽微、予輩ただ教を外に受けて証を内に全うせざる者は 兌(だ) を塞ぎ 坤(こん) に居るべきのみであるからしばらく擱(お)きて言わぬ。
ただ張る気を以て芸術に従事するする者は、時に澄む気の閃光を示し、而してその芸術の進境を示すが、凝る気で芸術に従事するものは決して澄む気の象(かたち)を視(しめ)さぬということだけをここに言えば足りる。
張る気で芸術に従事すれば仮令(たとい)その人が鈍根なるにせよ、時日を経るに随いて遅々ながらも進歩する。またあるいは一進一止するにせよ、時に進境あるを思わしむるの痕を示す。
しかし凝る気で従事するものは、その絹紙筆墨を費すや甚大甚夥なるも、畢(つい)に繋がれたる馬の一つの柱を遶り、籠められたる猿の六つの窓に忙しげなると同様に何の進境も示さぬものである。
(明治四十五年七月)

努力論
幸田 露伴 (著)
岩波書店; 改版 (2001/7/16)
P243


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント