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30代 [人生]

 歴史的な大事件に際会したときにその人物が何歳になっていたかということは、その人物にとっても、また歴史自身にとっても、しばしば重大な意味を持つ。
~中略~
 維新変革の全コースの中で、多くの日本人を新しい統一国家を目指す運動へとかりたてる決定的な契機となったのは、なんといっても、嘉永六年(一八五三)六月のペリー来航である。
~中略~
 たとえば、西郷隆盛。彼は、嘉永六年に数え年で二十七歳である。おなじ薩摩の大久保利通はその三つ下で二十四歳。小松帯刀(たてわき)になると、さらに若くて十九歳だった。
 長州でいくと、吉田松陰が大久保と同年で数え年二十四歳。木戸孝允つまり桂小五郎が三つ下で二十一歳。高杉晋作、久坂玄瑞となると、それぞれ十五歳、十四歳と、ぐっと若くなる。
伊藤博文(俊輔)は、さらに若くて十三歳である。
土佐では、坂本龍馬が十九歳。後藤象二郎は十六歳。板垣退助がその一つ上で十七歳だった。肥前の大隈重信が十六歳である。
~中略~

勝海舟 (中公新書 158 維新前夜の群像 3)
松浦 玲 (著)
中央公論新社 (1968/04)
P2

DSC_6312 (Small).JPG 緒方宮迫西石仏

 ところで、こうして維新変革の中心となった十代、二十代の人物群のことを考え、数えあげていくと、これらの人物たちと密接に関係しながら、あきらかに彼らとは違う世代に属している、もう一つの人物群の存在に気づかされる。
佐久間象山、緒方洪庵、藤田東湖、横井小楠、島津斉彬、三条実万(さねつむ)、徳川斉昭といった人たちである。
 この顔ぶれは、いずれも、前にかかげた十代、二十代、の人物群のどれかの師匠筋にあたっている。
~中略~
 つまり、こうなる。嘉永六年癸丑の年、一方には、すでにそのときまでに自己の思想を確立し、その思想によって一定の事業をなしとげ、あるいはなしとげようとしていた先達的な群像があった。そしてもう一方には、その先師、先達たちの影響下に入っており、またいずれ入ることが予定されているが、まだ自己の固有の思想までは形成しておらず、むしろペリー来航の衝撃によって飛躍し、がむしゃらに行動化しようとしている人物群がある。
前者は四十代、五十代であり、後者は十代、二十代であった。明治維新は、この後者によって達成された。
~中略~

 ペリーがやってきたときの勝海舟は、三十代だった。正確にいうと、数え年で三十一歳である。~中略~
 三十代というのは、まことに中途半端な年齢である。激情的な行動に身を挺してのりだすには、やや歳をとりすぎている。
思慮分別がつきすぎている。
しかし、三十代では、まだ、自分自身の人生における役割は果たし終えていない。これから仕事をしなければならない。


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