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リクツ主義vsリクツ抜き主義 [教育]

   ところがK君によりますと、このアメリカ人の尺八の「教え方」が実にうまいというのですね。
K君自身も尺八をやるのですが、このアメリカ人の教え方と日本人の先生のそれとどこが違うか。
これは尺八に限らず、「芸道」にはよくあることですが、日本人の場合まずリクツ抜きに先生によく密着して、とにかく自分でもヤミクモに練習し、「やっているうちに何とかなる」という、”秘伝”方式だ。
ところがこのアメリカ人だと、リクツ抜きじゃなくて反対にリクツ主義(?)とでもいいますか、とにかく「技術」にして、どこがどう悪い、指がどうの、くちの当て方がどうのと、具体的に、合理的に、すべて説明のつくものとして教える。
その結果、アメリカ人に尺八を習う方が早く上達するというのです。
 ~中略~ しかし、超名人級になるのに、はたしてどちらの方式が「良い」かとなると、かなりむずかしい問題になってきます。これは日本文化の根底にかかわることかもしれません。

実戦・日本語の作文技術
本多 勝一 (著)
朝日新聞社 (1994/09)
P53  

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実戦・日本語の作文技術 (朝日文庫)

実戦・日本語の作文技術 (朝日文庫)

  • 作者: 本多 勝一
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 1994/09/01
  • メディア: 文庫

まず言葉がある。「怒髪(どはつ)天を衝(つ)く」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し」とかいうのは言葉だけでいくら覚えても、十歳やそこらの子どもに身体実感の裏づけがあるはずがない。でも、言葉だけは覚えさせられる。
それによって、自分自身の貧しい経験や身体実感では説明できないような「他者の身体」、「他者の感覚」、「他者の思念」のためのスペースが自分の中にむりやりこじ開けられる。
そして、成長してゆくうちに、その「スペース」に、ひとつずつ自分自身の生々しい身体実感、自分の血と汗がしみこんだ思いが堆積してゆく。そんなふうにして子どもは成長してゆくんです。だから、子どもに「子どもにはわからない言葉や思想」を無理やりにでも押し込んでおくということは大切なんです。
 これが「学びの王道」だろうと僕は思います。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P235



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