空海 [宗教]
空海が天才であるという理由は、平安時代に中国から密教という一大文化体系を持ち帰っただけでなく、日本初の庶民のための私立学校「綜芸種智院」の設立、日本最大のため池「満濃池」の修築、戯曲的構成で書かれた日本初の思想小説「三教指帰」など、他にも日本初のものや画期的な事業を多く成し、その業績が非常に多岐にわたっているからでしょう。
空海 人生の言葉
川辺 秀美 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/12/11)
プロローグ
延暦二十三年(八〇四)年七月六日、空海は最澄とともに肥前の松浦から遣唐使船に乗り込んで出発しました。
空海が乗った船が唐の福州に到着したのが八月十日。ほぼ一カ月余りの旅でした。空海はこの時、三十一歳になっています。そして、ひたすら大唐国の首都・長安を目指して旅を続けていきます。
山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
P15
P108
ここで改めて、「執着気質」の特性を確認しておこう。精神科医の下田光造氏によれば、執着気質とは具体的には、几帳面、きまじめ、責任感や正義感が強く、凝り性で、仕事熱心といった特徴がある。
さたに執着気質の人は、ごまかしや、大雑把なことを嫌い、何ごとも徹底的にやらなければ気が済まないので、他から確実な模範人として評価されるという。
これらは、空海の著作・理論構成の緻密さや、正確さの背景として考えられる性格的要因を意味している。責任感や正義感が強いため、頼まれたことが正しいと思ったら断らず、たとえ満濃池の修復や綜芸種智院の創設なども受けたら敢行し、貫ききって結果を出している。さらに、自らも筆を作り、寺の修繕、曼荼羅の修復なども徹底的にやっている点など、まさに「凝り性で、仕事熱心」と言うべきであろう。
一方で、この執着気質の基本は、「感情の経過の異常」にあるとも言われている。
つまり、一度起こった感情が、正常者のごとく、時とともに冷却することがなく、長くその強度を持続し、あるいはむしろ増強する傾向を持つというのである。
実は空海には、このような感情が持続し徐々に高じていく面があり、その様は、最澄と空海の決別の経緯として必ず取り上げられている。
P110
改めて空海の性格を言えば、従来のうつ病の病前性格論から考察すれば、それはかなり典型的な執着気質と言えるということである。
空海に出会った精神科医: その生き方・死に方に現代を問う
保坂 隆 (著)
大法輪閣 (2017/1/11)
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