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ホスピス [医療]

   緩和ケアの考え方が、がんの早期からとり入れられるようになったとはいえ、現実問題として、がんに対する攻撃的治療をやりたい放題やった挙句、刀折れ矢尽きた果てに到達する場所が、ホスピスになっているのではないでしょうか。いわば”尻拭い施設”です。
 別に、これは、ホスピスを貶めていっているのではありません。結果的にそういう位置づけになっているのではないかといっているだけです。

大往生したけりゃ医療とかかわるな
中村 仁一 (著)
幻冬舎 (2012/1/28)
P121

IMG_0030 (Small).JPG大谷山荘

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

大往生したけりゃ医療とかかわるな (幻冬舎新書)

  • 作者: 中村 仁一
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2012/01/30
  • メディア: 新書

 

独立行政法人 国立がん研究センター

 緩和ケア病棟(ホスピス)は、がんなどの病気に伴う痛みや不安など心身の苦痛の緩和を専門に行う病棟だ。
緩和技術に精通した医師や看護師がおり、薬剤師、宗教家、ボランティアらとチームを組んで、患者や家族を支える。
国立がんセンター・がん対策情報センターによると、二〇〇九年一二月現在で全国二〇八の病院に開設されている。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P61

P88
国が一九九〇年に基準を満たした施設を緩和ケア病棟として認可し、定額入院料の給付を始めたことで、多くの病棟が開設された。
国立がんセンター・がん対策情報センターによると、二〇〇九年一二月現在で全国に二〇八施設。年々増えてはいるものの十分とは言えず、地域的な偏りも大きい。
 世界保健機関(WHO)は一九九〇年、緩和ケアを「治療不可能な患者のためのケア」と定義したが、二〇〇二年には、「生命を脅かす病気によっておこる問題に早期から対策するケア」と改訂した。

P87
 広島県は、緩和ケア病棟が八カ所計一四一床と全国トップクラス。整備の発端は一九九八年に市民団体が集めた一五万人余の署名だった(→解説18)。
「広島・ホスピスケアをすすめる会」(広島市)の石口房子代表は、こうアドバイスする。
「一人一人が最後にどんなケアを受けたいか考え、周囲に伝えること。もし地域で実現できないなら自ら声を上げて動くことが大事です。医療を動かすのは市民の力。やればできるのです」

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

  • 作者: 信濃毎日新聞社文化部
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/03/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 

 

P66
末期の患者というのは枯れ木が朽ちるように穏やかに衰えてゆく・・・・のではない。
その状態には大きな波があり、必要に応じて対処していくことが求められる。
 たとえば、心臓のまわりを取り巻いている膜で仕切られるスペース(心嚢)に、癌の浸潤または播種(はしゅ)(癌病巣がばら播かれるようにひろがること)によって水が貯まることがある。
一定以上貯まると心臓を圧迫し、心臓がうまく血液を送れなくなる。こうなると、生命も危険に晒されるが、患者さんも一種独特の苦悶症状に陥る。この診断は案外難しく、頬部レントゲンなどでは見落としてしまうことも多い。
対処法は、心嚢に針を刺して貯まった水を抜くことで、症状は劇的に改善する。「どうせ末期」の状態でこの診断を行い、治療をすることはそれなりの知識と技量を要求されるが、「どうせ末期」の状態であっても症状緩和はその処置でないと不可能で、酸素を投与しようがモルヒネをいくら使おうが枕元で賛美歌を歌おうが役に立たない。
 ところが、多くのホスピスでは、あえてしないのかできないのかは別として、そのような、ばたばたした診療行為はやらないと決めているかのようである。
そういうところでは、患者が入所を希望する時に、「とにかく一切の癌治療はしない」ことを何度も何度も患者および家族に確認を要求し、それに従わなければ受け入れない、ということが多い。

P68
 ホスピスケアをする医療者は、「やりすぎる」現代医療のアンチテーゼのようなところもあって、とにかく抗癌剤もしない、手術もしない、手術も放射線もしない、輸血もしない、それが嫌なら受け入れないという施設が非常に多い。特にナースサイドにそういう教条主義的なのが結構いて、医者がコントロールできないところではそれが施設の方針になっている。私はこういうのをタリバンホスピスと呼んでいる。~中略~
 一方、一般の病院でも、末期の患者に一律にホスピスを勧める傾向があるが、相手を見てものを言うべきである。現時点で積極的治療の適応なく、対症療法のみになっていても、たとえばさしあたって全身状態が良好で日常生活や仕事ができる人がホスピスへ行けと言われても、ふつうはハイそうですかとはならない。~中略~ ホスピスがすべての「末期」患者の解決策であるかのような誤解を与えるべきではない。

偽善の医療
里見 清一(著)
新潮社 (2009/03)

偽善の医療 (新潮新書)

偽善の医療 (新潮新書)

  • 作者: 里見 清一
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2009/03/01
  • メディア: 新書


P144
 おカネの問題だけではありません。ホスピスに入るには条件があります。
 現行では厚生労働大臣または都道府県知事から認可を受けたホスピス棟への入所条件は、がん末期かAIDS患者のみ。他の疾患の人は入れません。
それに加えて「治療の見込みのない」という条件がつきますので、いったんホスピス棟へ入ったら、いっさいの治療的な医療行為は(緩和ケアを除いて)行われません。たとえ末期といえども、患者さんはあきらめがつかないもの。最後の最後まで抗がん剤治療を求める患者さんは、ホスピス棟に入ることができません。
 こういう場所へ移る患者さんの気持ちに、抵抗感があることは想像にかたくありません。ホスピス棟に入ることは、生きるのぞみをすべて断念するようなもの。~中略~
日本人にとってホスピスは「死を待つ家」のイメージ。そこに牧師や僧侶がいたら、スピリチュアルケアどころか、ますます絶望にうちひしがれる患者さんだっていることでしょう。
 ヨーロッパの福祉先進国で見たホスピスは、日本以上に徹底したものでした。デンマークで訪れたホスピスには、ナースが勤務しているだけ、日本と違って常駐の医師もいません。近くの病院からバリアティブチーム(緩和ケアの医療チーム)が通ってくるだけ。基本医療行為をしないので、それですんでいるのです。平均滞在期間は2週間。日本の在院日数は40日ほど(2009年)。
~中略~
ここには安楽死の思想につながるドライな死生観があります。各国のケアの制度には、その社会の死生観が色濃く反映していますから、制度だけ抜き出して日本に移植することは、かんたんにはいかないのです。

P146
前章で触れた山崎医師はホスピス病棟医に転じたあと、ホスピス病棟ともいえども病棟の一種、と考えるようになり、さらに在宅ホスピス医に転じます。患者さんにとってはホスピス病棟は非日常。
人生の最末期に日常からひきはなされて非日常の時間と空間のなかへ移行しなければならないくらいなら、そのまま日常の時間と空間のなかで死を迎えることができないだろうか?・・・・・・それが在宅ホスピスです。

おひとりさまの最期
上野千鶴子 (著)
朝日新聞出版 (2015/11/6)

 癌の教科書は非常に多い。そのなかでも、国際的に広く医師や医学生に読まれている癌のバイブル的な教科書を調べてみると、癌の診断学、病態生理学、症候学、治療学については詳細な記載はなされているが、痛みについての記載はゼロに等しい(表37)。痛みについて記載されているまれな教科書でさえも「鎮痛薬の投与」という一行の文章ですまされているのが現実である。
 死を目前にして、痛みにもだえ苦しみぬいている癌末期患者に対して、誤った概念での根治療法なるものを錦の御旗のごとく振りまわす現代の医学は、苦しむ患者になんら救いの手をさしのべていない。

痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る
柳田 尚 (著)
講談社 (1988/09)
P207


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