博多に仙厓あり [雑学]
越後に良寛あれば、博多に仙厓ありで、正直に自分自身を曝した達人の生き方は、われらケチくさい人生を送っているものには、まことに羨望に耐えない。とくに聖福寺の禅僧仙厓義梵の天衣無縫ぶりは、知れば知るほど楽しくなる。
たとえば、達磨の画を描いてそこに「九年面壁いやな事」と賛を入れ、人のびっくりするのに平気の平左。
あるとき、新築の家へ呼ばれ一筆を乞われた仙厓は「ぐるりっと家をとりまく貧乏神」と書いた。縁起でもないと青ざめる主人や客。仙厓はニコニコしながら、「七福神は外へ出られず」。
こんな風にガッチリ固まった封建の世の形式主義と対決し、常に洒脱な人間の妙味を撒き散らして生き抜いた。
天保八年(一八三七)十月七日、享年八十八で入寂するとき、枕辺の弟子たちに言った最後の言葉が、この和尚さんらしくていい。
「死にとうない」
この達人禅師にしてこの言葉、聞き違えであろうと弟子が口元に耳を寄せると、仙厓はニコリとして、「ほんまに、ほんまに」と付け加えた。
最後まで性根を剥き出しにして生きたといえる。羨ましい。
この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P196
新天町
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