医療では何が正解か一概に言えない [医療]
医療では、何が正解で何が間違いか、一概には言えない。
患者が一〇〇人いれば一〇〇通りの治療方針があり得る。
決断が正しかったかどうか、医師が迷いを感じなくなれば「独善」に陥る。
大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P15
P9
科学的には大いに進歩してきたが、残念ながら医学の世界の多くはいまだグレーゾーンにあり、いつ、そしてどのように治療するかについて白黒はっきりつけられないこともある。
リスクと利点がそれぞれある複数の治療戦略が考えられることも珍しくない。あるひとにとっての最良の選択、というのは単純明快からはほど遠いこともあるのだ。
P110
医学の世界では非常にしばしば、ある問題に対処する方法が二つ以上存在し得る。前に触れたように、医学の多くはいまだ不確定な科学であり、明らかな黒でも白でもない、グレーゾーンにあるのだ。
リサのケースでいえば、関節を融合することを勧めず、保存的に観察して将来必要が生じれば手術をする、という医師もいたかもしれない。
しかし、リサの医師と同様に、融合手術が絶対必要だという医師もいるだろう。
医学雑誌には、明白な「ベスト」の治療戦略が存在しない症例について、様々な専門家の意見の違いを特集する記事が常に掲載されている。
こうした複雑で議論の的となるケースは学会でもよくとりあげられ、異なった治療戦略のそれぞれのメリットについて専門医が侃々諤々と議論を戦わせている。
リサにとってどの治療が最善であったか、私たちには知る由もない。
P63
私の両親は現在八〇代となったが、今でも活動的で、おおむね健康である。
父は科学や医学の新たな進歩について私と話すのを楽しみにしている。母はサーモンとブルーベリーは健康に良い、カルシウムを十分にとらないと、などと食べるものについて今でも私に意見する。
私は医者なのよ、と私が言い返すと母は決まってこう言う。「だって、医者がいつも正しいわけじゃないでしょ」。
そう、もちろん、母のこの言葉は正しいのだ。
P63
医師としての立場に立ったとき、私たちの目指すところは患者自身が自分の価値観と目標に照らして、何が一番自分にとって賢明な選択であり、どんな治療が最適なのかを見つける手助けをすることである。
自分たち自身の健康に関する好み、考え方を患者に押しつけないよう私たちは特に肝に銘じている。
決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
これが正しい!といった絶対的な判断の方法は存在しない。だが、いつまでも考えあぐんでいるわけにはいかない。
ある意味で我々は「確信犯」に徹しない限り、気合で乗り切るといった芸当ができなくなる。非科学的なことを言っているように聞こえるかもしれないが、けっきょくは相手の幸せを願いつつ、おろそかにすることなく真摯かつ力強い態度で「気合で乗り切る」―それしかないことが珍しくないのである。
結果が裏目に出たら、他人に非難されるかもしれない。だが、絶対的な判断方法が存在しない以上は、自虐的なる必要などない。反省すべきは、自分に幸運を呼び寄せる力がなかったことだけである。
はじめての精神科―援助者必携
春日 武彦 (著)
医学書院; 第2版 (2011/12)
P158
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