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現代の価値観で過去を判断してはいけない [ものの見方、考え方]

 国際法などが二十世紀になって登場しましたが、それに抵触せずに武力を用いる口実はいくらでもでっちあげられますから、実質的な歯止めは「他の列強が認めるかどうか」だけでした。
ある列強が卑劣なことをすると、当然、他の列強に非難されますが、同種のことを真似てやった国は前例があるということで軽く批判されるだけ、三番目からは舌打ちされるだけですまされる、というのが通例でした。
数ある弱小国の意見は蚊帳の外です。弱肉強食です。この「他の列強が認めるかどうか」こそが、じつは国際常識と呼ばれるものであり帝国主義唯一のルールでした。

日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
P156

TS3E0688 (Small).JPG

呉市 下浦刈三之瀬地区 松濤園(しょうとうえん)

P157
 日本は他の列強がさんざんしてきたことを手本にしたのでした。満州事変は現在の定義ならあからさまな侵略であるのに、当時の定義では侵略と言い切れるものではなかったのです。

P175,br>  もし現代の定義を適用して日本を侵略国というなら、英米仏独伊露など列強はすべて侵略国です。ヨーロッパの近代史とはアジア・アフリカ侵略史となりますし、アメリカ史とは北米大陸侵略史となります。 清国も侵略国です。
ただしこれらの侵略国家が倫理的に邪悪な国ということにはなりません。
この二世紀を彩った帝国主義とは、弱肉強食を合法的にするシステムだったからです。また、侵略をしなかった国は道徳倫理が高い国ということにもなりません。単に弱小国だっただけです。人間とはその程度の生物なのです。
 今から考えると侵略を合法化するシステムがつい数十年前まで生きていたなどとは信じられない話ですが、一九〇〇年の時点でこれを疑う人は世界にほとんどいませんでした。 強国は当然と思い弱国は仕方ないと諦めていました。
 もっとも重要なことは現代の価値観で過去を判断してはいけないということです。人間も国家もその時の価値観で生きるしかないからです。

P229
帝国主義は現在の視点から見れば、無論、卑劣な恥ずべきものです。弱肉強食は帝国主義時代の唯一の国際ルールだったとは言え、当時の列強諸国が深い自省と遺憾の念を持つべきなのは当然です。
 しかし人間はその時代のルールで精一杯頑張って生きるしかなく、未来のルールで生きる訳にはいきません。
大正生まれで、九十歳の作家、阿川弘之さんはこう語っています。「昨日のことを今日の目で見てはいけません。あの時代だから並大抵のことではありませんよ」(読売新聞、二〇一一年一月十一日付) 


タグ:藤原 正彦
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