リアルな死がない時代 [社会]
生の重みが「現実感を失っている」と言われて久しい。イラク戦争やイスラエル軍のガザ地区侵攻など、テレビのニュースで大量の死を日々、目にする。
ゲームの仮想画面では、キー操作で簡単に登場人物の生死を操ることもできる。一方で、家庭ではなく病院で死ぬ人が増え、死にゆく姿を間近で見ていない子どもが増えた。
子どもらの死に対する意識調査をしてきた上越教育大学(新潟県上越市)の得丸定子教授(57)は、「身近な誰かが亡くなったとき、大人が死の話題を避けたり強く悲しんでいたりすれば、子どもたちはなおさら「言っちゃいけないんだ」と抑え込んでしまう」と話す。
子どもの心に抑え込まれた悲観は、心身症や自殺の衝動にも、つながりかねない。「泣いていい、話していいんだよ、と大人が言うだけで違ってくる。適切なケアを受けないまま、死別の痛みを引きずり、成長してからも苦しみ続ける人が多い」と得丸さん。
松本短期大学(長野県松本市)の常勤講師、山下恵子さん(47)も「生命倫理」の授業で、自らが三歳の長女を亡くした体験を学生たちに話している。葬儀に「一度も出たことがない」という学生も多いが、「死を子供たちから隠すのではなく、自然な形で教える必要がある」と考えている。
「まずは、子どもを育てる大人自身が、死の受け止め方を学ぶ必要がある」と、長野大学の小高教授は二〇〇九年五月、地域の医療関係者や主婦らといっしょに「上田・生と死を考える会」を設立した。悲嘆のプロセスや「死への準備教育」などを学ぶ勉強会を開いている(→解説32)
大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P162
近藤(住人注;近藤誠) 死に方の話に戻ると、前と重なるかもしれませんが、昔の、家庭で亡くなっていた人の「自然死」というものの大部分はおそらく、がんですよね。
昔、多かったのは胃がん、これで死ぬ人が圧倒的に多かった。あと女性だと子宮がん。この2つは、どっちもラクに亡くなるんですよ。痛みがないから。
それから、病院に行かない年寄りたちの老衰死。それこそ「枯れたように」死んでいって、診断のつかない死。その老衰死の中にも、がんがいっぱい入っていたと思うんです。がんってわかるためには、たとえば子宮頚がんなら、そこをのぞかないとわからない。家庭じゃのぞかないから、老衰死とされる。
中村(住人注;中村仁一) やっぱり医療が濃厚に関与するようになって、死がおかしくなったんだろうなあという推測が、老人ホームに移って、実例をたくさん見て、確信に変わっていきました。子どものころ、田舎の年寄りの死に方をたくさん見ましたけど、そんなに苦しんで、のたうちまわってどうのこうのっていうのはなかったですからね。
僕がすすめる「自然死」は、そういう昔ながらの、御先祖さまの死に方。医療的なことをできるだけしない死ですね。
~中略~
中村 ~前略
いまはみんな病院に行っちゃって死が非日常になって、どういう実態かわからない。とにかく管だらけになって、線を這わされて、そんな姿しか見てないから、あれが「死ぬ」っていうことだと思うんですよね。死んでいく姿をぜんぜん見せてないから、続く者もわからず、死ぬのを怖がっているんでしょう。
近藤 人は死んでも家族とか友人や知人の中に生き続けるから、いいイメージを残してあげないと、残された人がかわいそうなのに。死んでいく本人にとっても不幸だし。
別冊宝島2000号「がん治療」のウソ
別冊宝島編集部 (編集)
宝島社 (2013/4/22)
P123
別冊宝島2000号「がん治療」のウソ (別冊宝島 2000)
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2013/04/22
- メディア: 大型本
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