「知らない」は「知りたくない」 [ものの見方、考え方]
さて今しがた、「知らない」と言い張るのは、誤解しているからだといいました。
ところが、まさに誤解する目的を問題にすると、そういうふうに「知らない」というのはほんとうは「知りたくない」ということなのだということなのだということがひょとすると明らかになるかも知れません。
さて、「知らない」という裏にあるのは、責任回避なのです。その人は、反射的に、責任回避をしなければならないという気持ちになるのです。
それは、共同の罪を引き受けなければならないことをおそれるからです。つまり、自分がまったく関与していないことがら、それどころか多くの場合「なにも知らなかった」ことがらに関して、罪を着せられ同罪だと言われることがよくあるのです。
それでも人生にイエスと言う
V.E. フランクル (著), 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳)
春秋社 (1993/12/25)
P143
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