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五十、百は自ら五〇、百の四時あり [人生]

一、今日死を決するの安心は四時(しじ)の順環に於いて得る所あり。
蓋し彼の禾稼(かか)を見るに、春種し、夏苗し、秋苅り、冬蔵す。秋冬に至れば人皆其の歳功なるを悦び、酒を造り醴(れい)を為(つく)り、村野歓声あり。
未だ曾て西成(1)に臨んで歳功の終わるを哀しむものを聞かず。
吾れ行年三十、一事成ることなくして死して禾稼(かか)の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。
然れども義 卿の身を以て云へば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。
何となれば人寿は定りなし。禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。
五十、百は自ら五〇、百の四時あり。
十歳を以て短しとするは蟪蛄(けいこ)(2)をして霊椿(れいちん)(3)たらしめんと欲するなり。
百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せずとす。
義卿三十、四時は己に備はる、亦秀で亦実る、その(しいな)たると其の粟たると吾が知る所に非ず。
若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ざるなり。同志其れ是れを考思せつ。
(1)西成 秋に植物が熟成することをいう。五行説で秋は西にあたるといい、「書経」尭典に「西成を平秩(へいちつ)せしむ」とある。
(2)蟪蛄 夏蟬のこと。「荘子」逍遥遊篇に「蟪蛄は春秋を知らず」とある。蟬の命が短いことを言っている
(3)霊椿 長生する霊木。(2)に関連して「荘子」逍遥遊篇につぎの言葉がある。  「小知は大知に及ばず、少年は大年に及ばず。何を以てその然るを知るや。朝菌(ちょうきん)は晦朔を知らず。 これ小年なり。楚の南に冥霊(めいれい)なる者あり。五百歳を以て春となし、五百歳をば秋となす。上古に大椿なる者あり。八千歳を以て春となし、八千歳をば秋となす。しかも彭祖(ほうそ)は乃ち今、久しきを以てひとり聞こえ、衆人これに匹せんとするは、また悲しからずや」  

吉田松陰 留魂録
  古川 薫 (著)
  講談社 (2002/9/10)
   P97


タグ:吉田松陰
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