相違をあきらかにしてゆくのが対話 [ものの見方、考え方]
ににより、むかいあう二人ないし数人の人びとのあいだに、明確な対立と、対立ゆえの緊張が存在しなければならない。というか、この自由と自立の原理からして、何人かの人間がおのれの信念を開陳すべくくきあうとき、そこに意見の相違があるのは当然の前提であって、その相違を自他にたいしてあきらかにしてゆくのが対話の重要な課題なのだ。
むきあう相手とのあいだに何らかの一致点を見いだすのが対話の目的ではなく、当然あってしかるべき相違点を明確な表現にもたらし、対立する見解のいずれが理にかなっているかを問う、というかたちで思索を深めるのが西洋の対話の基本型なのである。
~中略~
相手との対立点をきわだたせることに力をこめるのが西洋の対話(Daialig)の流儀だとすれば、その流儀を哲学の方法として応用しようとする弁証法(Dialektik)がまとまりや和のみを強調するものであるはずはない。
新しいヘーゲル
長谷川 宏(著)
講談社 (1997/5/20)
P30
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