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精神科治療 [医学]

  脳科学とは、脳が様々な物質からなる臓器の一つにすぎないという事実に注目し、まず解剖学的構造を知り、さらに生化学的・生理学的に機能を捉えるなら脳というものが分かるとする、人間機械論的な見方に立脚した学問である。
脳科学でいう構造とは、具体的にシナプス(神経細胞同士の接合部)や神経化学物質のレセプター(受容体)といったものを指していると考えられる。
向精神薬の薬理作用についての説明は、もっぱらこれに終始する。たとえば、ドーパミンが増えすぎるから精神分裂病(統合失調症)にあるとか、セロトニンが不足するからうつ病になるといった仮説がそうである。
この説明は一見因果関係が明瞭なだけに、大きな説得力を持つ。
 しかし実際に臨床に携わる私を含めた一定数の精神科医たちは、この明晰なはずの薬理学的説明にしばしば違和感ととまどいを覚えている。
それは精神科臨床(のみならず他科でも実はそうであろう)では、患者に生じる現象(すなわち精神症状)と薬物によってもたらされるはずの効果が、非常に複雑で、精神科医にとっても予想がかなり困難なことが多いからである。

精神科医になる―患者を“わかる”ということ
熊木 徹夫 (著)
中央公論新社 (2004/05)
P8

DSC_4707 (Small).JPG求菩提山

P10
 精神病理学で構造という場合、脳科学で説明される構造とは質的に異なるもので、治療者や患者の間主観性を基盤とした、物質としては捉えられないものを指す。これは精神構造と呼ばれるものである。これを、心の構造と言いかえてもいいだろう。
~中略~
たとえば同一の人間の存在の仕方について、脳科学的構造と精神構造というそれぞれまったく別の様式の構造で説明をつけることができる。すなわち双方の構造説明は、同一人物の中で同時に成立しうるものだといえる。
ただ、一人の人間に起こる一現症を双方の構造で説明しようとする時、それぞれの説明を具体的に照らし合わせることは困難であり、時には不可能ですらある。
~中略~
それらはいずれも<構造>そのものではなく、<構造>があある方向によって映し出された「像」である。

P12
先に私は、位相が異なる異なるはずの二つの治療法(薬物療法と精神療法)が、一人の患者に混合して施行され、ハーモニーを形成していることに衝撃を受けたと述べた。そしておそらく他の多くの治療者も、同じ感じにとらわれたことがあるはずである。
しかし大抵の場合、この衝撃は不問に付せられたまま、各々の治療者のキャリアが積み重ねられてゆくことになる。
 実はこの衝撃は、臨床の初心者の潜在意識にある影響をもたらしている。たとえば、患者がよくなりさえすれば、どんな方法論を援用することも是とする考え方がそうである。現に先にあげた薬物療法・精神療法のみならず、集団療法、家族療法といった多数者を介したものや芸術療法、その他さまざまな位相の異なったものが、同時並行的に実施されることはまれではない。
これだけ多くのパラメーター(媒介変数)が存在すると、後にもたらされる結果が何にもとづくものなのか検証するのが容易ではない。つまり治療状況をコントロールするのに多大な困難が伴うはずである。しかしこれらを行うに際し、現在の治療者にそれほどの覚悟があるようでもない。
 もとはといえば、精神科で歴史的に形作られてきた治療観が、これらの事態の基底にあるように思われる。精神科では長らく不治と見なされ、悲観的に予後が語られる患者が多くいた。~中略~
精神科薬物療法に多剤併用傾向が見られるのも、同じ流れからきていると思われる。
~中略~
これまでの精神科臨床はEBMは水と油であった。しかし精神科臨床の現場は、またしても位相の全く異なるEBMの取り込みを行なおうとしている。EBMが取り込まれていった後の精神科臨床はどのようになってゆくのだろうか。

P80
第二章で書いたように、「物語」こそが精神科治療が実現する根拠となるものであり、精神科治療者の専門性のおおもとは、「物語」作成のすべてにあるといってもよいであろう。すなわち、「物語」作成の能力こそが、精神科治療者のアイデンティティだと言うこともできる。それに対し身体科では、臨床検査を主とするさまざまな他覚所見(治療者などの第三者が行なう、患者の身体についての見立て)の読み方が診療根拠である。 身体科治療者にとって、アイデンティティはそこにある。


 精神分析的な心の治療を受けたことのある人は、日本ではまだ少ないでしょう。心の病を治すサイコセラピー(精神科医は精神療法と呼び、臨床心理士は心理療法と呼びます)にはさまざまな種類がありますが、通常のカウンセリングを行う臨床心理士などと比べると、日本では精神分析家そのものの数があまり多くありません。
 その要因の一つは、大学医学部の意識の低さです。
 文系中心の臨床心理士と違って、精神分析家の多くは基本的に医学部出身の医師。しかし、日本の精神医学は薬物治療を中心とする生物学的精神医学が優勢で、精神療法のひとつである精神分析には熱心ではありません。
 その証拠に、医学部の精神科の主任教授は、およそ九割が生物学的精神医学の専門家。
そのため大学の講義では、統合失調症やうつ病などを引き起こす脳のメカニズムや、それに対する薬物治療の話が大半を占めることになり、医学生がまともに精神分析を学ぶ時間がほとんどないのです。

自分が「自分」でいられる コフート心理学入門
和田 秀樹 (著)
青春出版社 (2015/4/16)
P16


すべての精神疾患に対して、心理療法が万能の治療法ではありません。
たとえば統合失調症や躁うつ病では、話を聴くことのみでの治療は効果がなく、薬物療法が急性期の治療の中心になります。心理療法が有効な精神疾患は限られており、薬物療法を中心に治療しなければならない病気、生活環境の調整が必要な病気、それらに心理療法を加えなければならない病気など、それぞれ優先されるべき治療法及びそれらの組み合わせがあります。
 また精神疾患の回復には、ある程度の時間が必要で、一度の心理療法で急に回復するというものではありません。一時的に教錠が改善されても、長い目で見て、本当にどうなのかということを評価しなければなりませんし、心理療法の精神疾患に対する効果はなかなか見えにくいところがあります。

精神科医はどのように話を聴くのか
藤本 修 (著)
平凡社 (2010/12/11)
P104


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