遍路 [日本(人)]
なぜ四国におけるそのような巡礼を、とくに「遍路」と呼ぶのでしょうか。それはこの四国の地が日本列島の中でとりわけ辺境の地と考えられてきたからだと思います。
辺境の地というのは四国の他にもたくさんありますが、いつしかこの地が辺境の地の中の辺境、と考えられるようになったのです。
観音霊場を行く人々を「巡礼」というのに対して、四国の霊場を巡り歩く人々をとくに「お遍路」「お遍路さん」と呼び慣わしてきたのはそのためです。
山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著), 黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
P12
P94
伝説によると強欲な衛門三郎は托鉢に訪れた乞食僧を追い払おうと、僧が手にしていた鉢を箒で叩き、鉢は地面に落ちて八つに砕けた。すると日を置かずして衛門三郎の子どもたち八人が次々と亡くなってしまう。ある日、苦悩していた衛門三郎の夢枕に乞食僧が立ち、自分は弘法大師空海であることを明らかにし、懺悔を促した。夢から覚めた衛門三郎は、悔い改めるため家財産を処分し、たった一人で大師の後を追った。これが四国遍路の始まりとされる。
P100
「昔はお布施をもらいながら四国を巡る裏遍路が多かったなぁ。玄関でチリリーン、チリリーンと鈴を鳴らして、般若心経を上げるのよ。すると家の者が米を持って行ってな。袋に入れてやるんじゃ。歩けなんだ人も度々見かけた。乳母車のような台車に乗ってな、杖で漕ぎながらうろうろしよった。浄瑠璃寺さん(四国霊場第四十六番札所)の本堂の下には、そういう人たちがたくさん野宿しておってな。お寺の小僧さんがお世話をしよった。そういう遍路は生涯、四国を巡ってどこぞで仏になるんよ」
「ここに来る途中、行き倒れになったお遍路さんの墓もありましたが」と山折氏が尋ねると、
中川さん(住人注;お接待の奉仕をしている中川重美さん、昭和八年生まれ)は「行き倒れになったお遍路さんが見つかると、地元の者がお坊さんを呼んで供養してな、埋葬したんじゃ。白衣の襟元に住所を書いた紙とお金が縫い付けてあれば墓を建て、亡骸は身内に引き取ってもらった。ワシは何度か墓掘りに駆りだされ、お遍路さんの亡骸を埋めたこともあるが、埋葬する場所はだいたい決まっておった」。
P42
現代社会では、格差や貧困、家族崩壊、高齢者の孤独死など、出口の見えない新たな人間苦が顕著化しています。
社会はいろいろな支援を提供して助けようとしていますが、とてもカバーしきれません。そこで四国遍路という伝統的な救済の仕組みが意味を帯びてきているのではないかと思うのです。
遍路は人間苦の中から新しい人生をつかむ契機にもなっています。
P204
樫原(住人注;善通寺第五十七世法主 樫原禅澄氏) 四国に世界遺産がないから(四国四県に)共通する遺産として、”四国霊場を世界遺産に”と唱えられているようですが、私ががっかりしたのは経済関係の人が「四国霊場が世界遺産になったら人がたくさん来て、儲かるぞ」と発言したことです。私は無理に急いで(世界遺産に)ならなくてもいいのではと思います。
それよりもキチンとした信仰の道、寺院があるからやって来るといった人が増えることが望ましい。数よりも心の質をとりたいですね。
立松 いま四国八十八箇所霊場の巡礼をする人が多いといわれていますね。では参加した人に、巡礼で何が変わったんですかと言われても、普通の人は答えられないと思うんですよね。僕は、あの四国八十八箇所巡りは、日本人の死の練習だと思っています。
五木 旅立ちの姿は死に装束ですからね。白衣を着て、杖を突いて歩く。
親鸞と道元
五木寛之(著),立松和平(著)
祥伝社 (2010/10/26)
P236
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