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21番太龍寺 [雑学]

 太龍寺の麓には那賀川という清流が流れています。
この川の名前が青年時代の空海に迫るキーワードです。インドのサンスクリット語では龍をナーガと発音します。ナーガが那賀に置き換えられたのではと思い、私はハッとしたのです。龍は雨乞い信仰につながります。空海はさまざまな祈祷を行った人ですが、最も重要なのは雨乞い、つまりそこに流れる龍神信仰だったのではないかと思います。



山折哲雄の新・四国遍路
山折 哲雄 (著),黒田 仁朗(同行人) (その他)
PHP研究所 (2014/7/16)
P71


 



山折哲雄の新・四国遍路

山折哲雄の新・四国遍路

  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2018/02/16
  • メディア: ペーパーバック





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P164
二つ目の峠を越える頃、再び(住人注;太龍寺ロープウエイの)ガイドさんの説明に力がこもった。
「もうすぐ右手の岩の上に大師様の座像が見えてまいります」。乗客は身を乗り出すようにして岩を探した。その岩こそ、空海が修行した大瀧獄とされる舎心獄らしい。
~中略~
 たしかに、空海らしき人影が岩の上に座っていた。といっても銅像である。
 ガイドさんの説明によると像は東を向いているのだという。舎心獄の空海は昇る朝日を見つめていたのだ。その視線の彼方に高野山がある。
ほどなく、駅舎に到着した。「先生、海が見えますよ」と駅舎から景色を眺めていると、いつのまにか傍らにいたガイドさんが「東に見える海は紀伊水道です」と教えてくれた。対岸の町やその背後の山並は和歌山県という。
「北に青々と横たわっているのは淡路島です」
~中略~
 青年時代の空海は、ここから黒潮が流れ込む紀伊水道を眼下に、高野山と瀬戸内を臨んでいたのである。空海にとっては瀬戸内は生誕地であり、高野山は入定地である。自らの過去と未来を見据えるようかのように坐していたのだ。
「高野山はお隣なんだなぁ」と山折氏が軽やかにいった。
大龍寺が「西の高野山」といわれることが腹に落ちた。



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