徳川家康 [雑学]
家康は、信長や秀吉のような天才はもたなかったが、なによりもこの両雄よりすぐれていることはその義理堅さ、律義さであり、家康のこの性格に対する信用が、かれをして天下をとらしめたといっていい。
家康は、だまさない人だった。
~中略~
家康は律義そのものの男で何度か信長に煮え湯をのまされたが、それでも裏切らなかった。
「三河どのの律義」
というのは、天下に知られるようになった。どの大名も家康の言葉だけは真にうけて大丈夫という見方をもった。戦国の世でこれほどの信用のある男はいなかった。
~中略~
かれがたぬきおやじになったのは七十前後からで、当時大坂城には秀頼がいた。すでに二十になろうとしていた。
家康自身は、七十の老人で、老いさき、長かろうはずがないが、秀頼はこれからの年齢である。もし自分が死ねば、せっかく得た天下は、砂上の楼閣になりかねない。
ここで家康は、たぬきおやじになった。まるで死ににものぐるいのように秀頼をいじめ、だまし、ついにその家を覆滅した。
家康が律義のカンバンをおろしたのは、そういう事情からであった。このため後世食えぬ男といわれるようになった。どうじょうされていい人間である。
(昭和37年11月)
司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
司馬遼太郎 (著)
新潮社 (2004/12/22)
P256
タグ:司馬 遼太郎
コメント 0