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社会福祉施設としての寺 [日本(人)]

立松 そして彼ら(住人注;凶状持ちや世間から疎まれた人たち)が最終的に逃げ込むところに、必ずお寺がありましたね。
五木 寺は、昔は権力の立ち入ることのできない場所だったから。
立松 西大寺なんかがそうでしょう。奈良の般若寺もそうです。それから日蓮上人の、東京の池上にある本門寺もそうでしたね。そういう、もう一つの世界があった。
いまは施設とか、刑務所に入れるという隔離政策じゃないですか。でも、何か悪いことをしでかしてしまったり、業病に取りつかれてしまったりした、苦しみを得た人が生きられる場所というものが、かつては仏教の中に設定されていたんですよね。
五木 光明皇后なども、ものすごく社会活動をやっていましたね。病者のための風呂をつくるとか、行き倒れの人たちを野辺送りするとか。そういう活動も聖として大事な仕事だったわけだ。
真言律宗などはとくにそうでした。今はお寺が・・・・・。
立松 いまはもう、立派な寺に逃げ込んだら、たちまち追い出されますから(笑)。文化財を盗みにきたかと思われる。~中略~
五木 そうです。時宗は昔から社会奉仕をすごくやった人びとです。
立松 明治の始まるぐらいのときには、そういう精神が仏教にも生きていたんですね。国家に服(まつろ)うというか、国家そのものの仏教の体系があり、もう一つは別に服わぬ仏教の体系があって、もっと自由奔放に生きた聖の世界があって、仏教といっても非常に層が厚いですね。

親鸞と道元
五木寛之(著),立松和平(著)
祥伝社 (2010/10/26)
P239



DSC_5432 (Small).JPG戸上神社 

 そのとき勝鬘夫人は、十のおおきな誓いをたてました。
~中略~
それから(第六に)、私は、財産を受けたもつとしても、自分のためにはいたしません。
受けたものはすべて貧しい人、苦しんでいる人を豊かにするために使いましょう」と言います。
 ここはとくに大乗仏教を、従前の伝統的・保守的仏教と区別する一つです。社会事業というようなこともここにふくまれます。
悩み苦しんでいる人々を救うという活動は、伝統的・保守的仏教でもなされていました。
アショーカ王は施しの家というものをつくりました。その施しの家で実際に人々に施しをしているその光景は、南インドのアマラーヴァティの浮き彫りにも出ています。ですからインドでは以前から行なわれていたのですが、大乗仏教でとくにそれを強調するようになりました。
 そしてここに出ているこの「勝鬘経」の精神を、聖徳太子は実際に具現しました。聖徳太子が四天王寺総本山をつくったときに、四箇院(しかいん)という人々を救う施設をつくったのです。

『維摩経』『勝鬘経』 (現代語訳大乗仏典)
中村 元
(著)
東京書籍 (2003/06)
P100





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