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貧を恥じぬ [日本(人)]

  いまの福岡市はかつての黒田藩の城下町で、隣接する港市の博多は商業地域になっていた。当然、富は博多の商家にあつまっていた。
それにひきかえ城下の福岡の侍は大半は貧乏で、平均的な藩士の家庭で食膳に魚がのぼる日は月に何度かだった。当時、侍と商家の通婚は、ほぼなかった。
維新後、通婚がおこなわれるようになると、富んだ商家のほうが福岡の没落士族に娘をやることに積極的だった。
「商家にとっての身分上昇ということですか」
「そういうことでもない」
 このへんの機微はむずかしく、私は言葉を選ぼうとしたが、うまくいえない。幕藩体制のころ、武士が行政官を兼ね、学問もした。藩校は町屋の子弟にはひらかれていなかった。武士たちは貧しくあっても牧民官であることと、 多少の教養をもっているということの誇りのために、信じがたいほど汚職のすくない社会をつくった。
 商人たちはそれをみていてお侍さんはえらいものだ、と階級や身分よりむしろ形而上的なものへ心をゆだねている人間への尊敬心に似たものをもっていたのだろう、とピストンさんにいった。
 貧を恥じぬという伝統的日本文化は江戸期ににわかにはじまったものではなく、戦国のころにすでにあった。たとえば薩摩がそうであった。そこへ上陸してきたキリシタン僧が、武士が貧しくとも平然としていることにおどろいた。さらにこの国では貧しさがときに誇りにさえなる、このあたりがヨーロッパとちがっている、という旨の報告書をローマに書き送っている。 この風は江戸期に入って一般化した。

アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P76


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