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内子町 [雑学]

 谷がひろければ、町がある。  松山から大州への古街道ぞいにある内子町もそうで、三方の渓谷を削って流れおちてくる三つの川(中山川、麓(ふもと)川、小田川)がやや広い谷をつくって人々に集落をつくらせている。
「実家は内子でございます。櫨鑞(はぜろう)の問屋をいたしておりました」
 と、この夜、泊まった大洲の旅館「油屋」の女主人がいったが、内子の町はどこか古風で道をゆくひとびとの歩き方までが悠長にみえた。
 この町は、市から発達したらしい。奥のほうの谷々から山の物を持ち寄り、それを売って里の物を買ったようである。
 明治以前、諸藩の重要な産業のひとつは鑞であった。櫨の木の実からとつのだが、採ったばかりのなまの鑞を採集して晒し、諸国に出荷していたわけで、内子の鑞問屋といえば大きな資本であったらしい。

街道をゆく (14)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1985/5/1)
P51

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オーベルジュ内子

オーベルジュ内子

  • 場所: 愛媛県喜多郡内子町五十崎乙485-2
  • 特色: 静謐に耳を傾ける時間、四季の移ろいや自然が奏でる小さな輪唱と語らう非日常の世界へ


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